デビュー曲の「雨のリグレット」は、オリコン65位のスマッシュヒットだったが、セカンドシングル「246:3AM」はチャートインせず、3曲目のヒットにスタッフは意気込んでいた。作曲は稀代のヒットメーカー筒美京平に依頼した。仕上がった筒美の曲を稲垣が「ラララ」のハミングで歌い、それをタイプの違う3人の作詞家にわたし、コンペの形がとられた。その一人が秋元康だった。当時秋元は稲垣よりも若い24歳。それまで81年10月のアルフィーの11枚目のシングル「通り雨」のB面「言葉にしたくない天気」と、稲垣の2枚目シングルのB面「ジンの朝まで」の2曲だけだった。ところが、稲垣本人もスタッフからも、最もメロディにマッチしていると秋元康の「ドラマティック・レイン」が選ばれたのだ。送られてきた秋元の歌詞は、原稿用紙の一文字一文字マス目いっぱいに書かれたものだった。
レコーディングには筒美も立ち会い、周りのスタッフたちは「この曲は必ずヒットする」と太鼓判を押した。82年10月21日にリリースされたが、予想通りだった。発売と同時にCMにも流された。サーキットを疾走するBMWが時速200㌔を超えるスピードで疾走する。その映像に「ドラマティック・レイン」が非常にマッチしていて、レコード売上げも伸びオリコンチャート8位にランクインした。稲垣も全国区になったが、この曲で秋元康が引く手あまたの作詞家になった。
今回、稲垣潤一の楽曲を振り返って驚いたのは、CMソングやテレビドラマの主題歌、番組のエンディングテーマに多数使われていたことだ。「夏のクラクション」は、富士写真フィルムの「カセットGT-1」のCMソング、「ブルージン・ピエロ」「バチェラー・ガール」は横浜ゴムの「インテック」のCMソング、「思い出のビーチクラブ」はカナダドライ「ジンジャーエール」のCMソング、「セブンティ・カラーズ・ガール」は89年春のカネボウ化粧品のキャンペーンソング……、とシングルの多くがタイアップ曲の役目も果たしているのだ。それだけ、稲垣の楽曲は耳に残りやすいメロディで印象的な歌詞、繰り返し聴きたくなるような曲なのだろう。
しかし、紅白歌合戦の出場は、デビュー5年目の1987年の第38回に「思い出のビーチクラブ」で出場した1回だけだ。白組の司会は加山雄三、紅組は和田アキ子だった。稲垣の対抗は小比類巻かほる「Hold On Me」で初出場同士の対戦だった。余談だがこの年は、谷村新司も「昴(すばる)」で初出場している。仙台の両親が健在の頃で親孝行ができてうれしかったと語っていた。
デビュー10年目の92年の「クリスマスキャロルの頃には」も秋元康の作詞だ。TBS系ドラマ「ホームワーク」の主題歌にもなり、170万枚を売り上げた。30年以上たっても、クリスマスソングの定番となっている。
2008年からは、中森明菜、太田裕美、柴咲コウ、小柳ゆき、広瀬香美、辛島美登里などさまざまな女性ヴォーカルとデュエットしたカバーアルバム『男と女』のシリーズを発売している。50歳を超えてからの挑戦である。コンサートでも謙虚で秘めた闘志を感じるのは、きっと若いころの苦労があったからだろう。
今年もコンサートで健在ぶりを見せてくれるに違いない。観客の一人として見届けたいと願っている。
文=黒澤百々子 イラスト=山﨑杉夫