1967年にテープの高速回転による声と伴奏による「帰って来たヨッパライ」がミリオンセラーの大ヒット曲となり、日本の歌謡史に名を残すザ・フォーク・クルセダーズ。そのメンバーであった加藤和彦と北山修が連名で71年にリリースしたのが「あの素晴しい愛をもう一度」だ。作詞を北山が、作曲を加藤が手がけている。
68年のザ・フォーク・クルセダーズ解散後、コントラバスを担当していた北山修は、京都府立医科大学を卒業、医学博士となり精神分析家・心理療法家として活動する。70年前後の関西、京都のフォークブームの中心的人物の一人でもあり、作詞家としても活躍している。
堺正章が歌った「さらば恋人」、由紀さおり「初恋の丘」、ベッツィ&クリス「白い色は恋人の色」、トワ・エ・モア「初恋の人に似ている」、はしだのりひことシューベルツ「風」「さすらい人の子守唄」、はしだのりひことクライマックス「花嫁」、また、アニメ「サザエさん」が日曜以外に火曜日にも放送されていたときの「お空が大きく見えるのは~」で始まる主題歌「レッツ・ゴー・サザエさん」、「星を見上げて僕は考える」とカツオが歌う挿入歌「カツオくん(星を見上げて)」の作詞も手がけている。尾崎紀世彦の「また逢う日まで」が大賞に輝いた71年の日本レコード大賞ではジローズの「戦争を知らない子供たち」、牧葉ユミが歌った「冒険」で作詞賞を受賞している。
一方、加藤和彦は、71年11月に配偶者であったミカをボーカルにドラムスの角田ひろ(ツノダ✩ヒロ)とサディスティック・ミカ・バンドを結成し、そこにリードギターとして高中正義が加入し、72年に「サイクリング・ブギ」でシングル・デビューする。ロンドンポップ、グラム・ロック、レゲエなどを導入した斬新な創作活動で70年代の日本のミュージック・シーンをリードする。73年にはナショナル住宅建材株式会社のCMソングとなる「家をつくるなら」をソロ名義でシングル・リリースしている。75年にミカとの離婚を機に、サディスティック・ミカ・バンドを解散する。
85年に、加藤、高中、高橋幸宏、後藤次利、坂本龍一、松任谷由実で「サディスティック・ユーミン・バンド」として、国立競技場で開催された国際青年年の記念音楽イベント「ALL TOGETHER NOW」に出演。各アーティストの代表曲メドレーに加え、「タイムマシンにおねがい」も披露している。さらに、ボーカルに小田和正、財津和夫を加え、ユーミン・小田・財津のコラボレーション曲「今だから」が披露されている。
89年には加藤、高中、高橋、小原礼にボーカル桐島かれんを加えSadistic Mica Bandとして再結成、2006年には加藤、高中、高橋、小原にボーカル木村カエラを新たに加えてSadistic Mica Band Revisitedとして再々結成した。
80年代後半からは市川猿之助と組んで舞台『スーパー歌舞伎』の音楽も手がけ、歌舞伎史上初めて歌舞伎に洋楽オーケストラを取り入れた。84年に手がけたアニメ映画『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』の劇中歌『愛・おぼえていますか』は、日本アニメ大賞主題歌賞を受賞している。
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