わが昭和歌謡はドーナツ盤

「アカシアの雨がやむとき」の大ヒットで知られる60年代随一の都会派〝クールビューティ〟シンガーの、連続10回目にして最後となった紅白歌合戦のステージでのラストソング 西田佐知子「女の意地」

 その後も西田は、「シャボン玉ホリデー」「夜のヒットスタジオ」「8時だョ!全員集合」などの放送作家の塚田茂作詞、宮川泰作曲の「信じていたい」(66年紅白歌合戦で歌唱)、同コンビによるGSサウンドを思わせるノリのいい68年オリコン年間ヒットチャートの27位を記録した「涙のかわくまで」(67年紅白で歌唱)、岩谷時子作詞、宮川泰作曲「あの人に逢ったら」(68年紅白で歌唱)などをヒットさせ、「TBS歌謡曲ベストテン」などの歌番組の常連組となり、まさにボリドールを背負う第一人者という存在だった。

 ポリドールの専属だった歌手と言えば、「霧笛が俺を呼んでいる」をヒットさせた日活俳優の赤木圭一郎、園まり、日野てる子、菅原洋一、加藤登紀子、沢田研二、野口五郎、小椋佳、井上陽水らの名前が浮かぶ。

 69年にリリースされた橋本淳作詞、筒美京平作曲の「くれないホテル」は、チャートの順位こそヒットとは言えないかもしれないが、細野晴臣、松本隆、坂本龍一、山下達郎などミュージシャンからは高い評価を得ている。鈴木慶一がボーカルを務めるムーンライダーズもカバーしている。

 
 今回紹介する曲は65年にリリースした「女の意地」である。「赤坂の夜は更けて」とのカップリングというのが興味深い。両曲とも作詞・作曲は鈴木道明が手がけている。日野てる子の代表作「夏の日の想い出」の作家として知られている。

 

 「赤坂の夜は更けて」は、各レコード会社競作で島倉千代子、和田弘とマヒナスターズなどもリリースしているが、一番ヒットしたのが西田佐知子版だった。西田のまとう都会的な雰囲気がピッタリのムード歌謡で、むしろ競作だときいて意外に思うほど、ほかの歌手での歌声を聴いた記憶がない。同年、5回目の出場となった紅白歌合戦で歌唱している。

 「女の意地」は西田には珍しく演歌タッチのメロディラインで、詞の世界も「あの人を忘れられないけど、女の意地で別れにゃならない」、「逢えば未練の涙を誘うから、二度と逢うまい」と別れたはずなのに、ふっきれない心の揺れをみせ、さらには「別れた人を想い出すこともすまい、女心は頼りないのよ」と、ふんぎりのつかない自らを情けなく思っているようにも聞こえる。恋を失った女の未練というか、情念とも言えるようなすさまじさすら、じっくりと詞に向き合ってみると見えてくる。

 71年には『悪魔が来りて笛を吹く』『戦国自衛隊』の斎藤光正監督が、松原智恵子、浜木綿子、中尾彬、山本陽子、梶芽衣子、藤竜也らの出演で映画化し、銀座の夜を舞台に華やかな夜の世界に生きる女の悲しさを描いた。

 西田佐知子は、10回目の出場となる70年の紅白でこの曲を歌い、紅白のステージを後にした。翌年に入ってリバイバル・ヒットし、40万枚のセールスで71年のオリコン年間ヒットチャートの28位にランクインしている。やるせない気持ちを伸びのあるノンビブラートで西田佐知子が歌うこの曲は、どこか乾いた感じに聞こえた。

 71年の関口宏との結婚後は、仕事量も減らし表舞台からは去って行ったが、改めて西田佐知子の歌を聴き直してみると、演歌とか、ポップスだとか、ムード歌謡だとか、いずれのジャンルにも当てはまらない、ほかのいずれの歌手とも味わいの異なる、唯一とも言える存在だったと思えるのである。ストレートに語尾を伸ばし、張りのある声を聴かせるという意味では、いしだあゆみがその系譜にあるかもしれない。いしだあゆみの数々の曲に、西田佐知子を感じさせられることがある。

 都はるみ、ちあきなおみ同様、今一度歌う姿を見てみたい昭和歌謡に名を残す歌手である。

文=渋村 徹 イラスト=山﨑杉夫

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