わが昭和歌謡はドーナツ盤

太宰治の小説「津軽」が思い出される7つの津軽の雪、名曲「津軽恋女」を歌唱する新沼謙治は「スタ誕」から飛び出してデビュー50周年

 

 今年、北海道の稚内市で観測された初雪は、昨年より一日遅く10月20日だった。その後、11月には青森にも初雪が降り、12月になると日本海側でも冠雪の便りが届くようになり、いよいよ冬の到来を肌で感じる季節になった。

 四季にちなんだ楽曲のなかでも、特に冬の雪の歌はドラマチックなものが多い。

 たくさんある雪にまつわる楽曲の中で、今回ご紹介したいのは、新沼謙治の「津軽恋女」(1987年2月21日リリース)である。季節も相まって、初めて聴いたころよりも今になって聴くと、しみじみといい曲だと心に沁みてくる。

 
 新沼謙治は岩手県大船渡市の出身で、オーディション番組「スター誕生!」を経て、「おもいで岬」(作詞:阿久悠、作曲:川口真、編曲:あかのたちお)で、1976年2月1日デビューした。新沼は4人姉妹の中の一男児として育った。年少の頃、土砂崩れで家を失うという不幸に見舞われ、幸い家族はみな無事だったが、中学を卒業すると宇都宮の左官業を営む叔父のもとで働くことになった。小さい頃から歌うと拍手をもらっていたという新沼は親方の勧めで町内ののど自慢大会に参加して優勝すると、まわりの仲間に乗せられ「スター誕生!」に応募する。最初の頃は歌手になりたい夢よりも、テレビに出られる期待のほうが大きかったとか。まず700人の中から20人が予選通過し、その後7人がテレビ出演する。一時通過の20人には入れるが、なかなかその先に進めない。5度目の挑戦でやっと本選出場を果たし、第14回決戦大会でレコード会社や芸能事務所など17社からスカウトのプラカードがあがった。これは桜田淳子、山口百恵に次ぐ3番目の記録だという。東北訛りが抜けない親しみのあるキャラクターで、「土の香りのする素朴な青年」がキャッチフレーズだった。

 
 同じ年の6月、2曲目の「嫁に来ないか」(作詞、作曲、編曲ともデビュー曲と同じ)が大ヒット。筆者を含め、この曲がデビュー曲だと思っている人も多い。「岩手県 新沼謙治」宛で大船渡の実家にファンレターが届き、熱烈な女性ファンが履歴書を持参するという出来事まで起きた。当の本人はまだ結婚願望もないときだったが、彼女らに対する祖母が神対応をみせた。「泊まってけ~」と、決して広い家ではないのに、泊まらせ朝食を食べさせると、彼女たちは満足して帰ったそうだが、このエピソードは新沼自らも語っていることもあり多くのファンに知られることになった。

 第18回日本レコード大賞新人賞を受賞し、NHK紅白歌合戦にも初出場。対戦相手はやはり初出場の太田裕美で歌唱は「木綿のハンカチーフ」だった。

 さらに、78年には東映のシリーズ第8弾『トラック野郎・一番星北へ帰る』で、主演の「一番星」を演じる菅原文太と「やもめのジョナサン」を演じる愛川欽也、本作のマドンナの大谷直子とともに、新沼も花巻警察署に勤務する警察官として登場。映画初出演ながら、黒沢年男、田中邦衛、嵐寛寿郎ら豪華出演陣の一員として名を連ね、新沼の歌う挿入歌「ごめんよ」(作詞・伊藤アキラ、作曲・編曲:馬飼野康二)が感動的な場面を盛り上げた。

 その後映画では、『二百三高地』(80年・東映配給)にも出演。不器用でドンくさい新兵役ながら、重いシーンが続く中で肩の力が抜ける存在として目に留まった。自身もデビュー2年は全く休みがなかったと語るように、映画やドラマ、バラエティ番組の出演とアイドル的な人気を博した。

 

 
 28枚目のシングル「津軽恋女」(作詞・久仁京介、作曲・大倉百人、編曲・若草恵)は、新沼の代表曲でもあり、息の長い人気の曲だ。今回初めて知ったのだが、この楽曲は、NTTが「日本電信電話公社」だった時代、1978年に北海道と本州を結ぶ通信用の鉄筋コンクリート造電波塔「石崎無線中継所」(通称津軽の塔)を建設し、それを記録映像化したが、その主題歌『津軽の塔』が原曲になったものだ。作詞・脚本は永井俊一、作曲・歌唱が、大倉百人(当時は牛車茂)である。この映像をみると、全国に通信網を着々と建設していった国営だった電電公社の存在感が大きい。しかし2001年には稼働中止となって「津軽の塔」はその役目を終えた。時代の変化を、残されたコンクリートが物語っている。

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