
2025年、昭和100年という節目の年に、憲政史上初の女性首相が誕生したことは、政治の世界の固定概念を覆す画期的な出来事だった。高市早苗首相は、自民党新総裁の決戦投票を制し、勝利演説で、「働いて働いて働いて働いて働いて、参ります」という名言を残した。ワーク・ライフ・バラスが重視される時代にあってこの対極のメッセージはインパクトが強く、2025年の新語・流行語の年間大賞になった。
「働いて、働いて……」と聞いたとき、真っ先に浮かんだのは父のことだった。昭和一桁生まれの父は、働きづめで19年前の大晦日に空の上の人になった。空襲で川崎にあった家が焼かれ、一家で親戚のいた今の地に逃げてきたという。父からは戦時中のこと、戦後突然蒸発してしまった祖父のこと、病弱だった祖母のことなど、苦労話を一切聞いたことがない。仏壇とともに祖父母の位牌が新しくなった小学校4、5年生のころ、母から初めて聞かされたと記憶している。父に戦争の話を聞いてはいけないと子供心に刻んでいた筆者は、祖父母のことも聞くことをしなった。
会社に勤めながら家を普請して大きくすることが父は好きだった。ほかに趣味といえるものなどない人だった。夏はビール1本、冬は熱燗1合、毎日晩酌は欠かさなかった。悦に入って歌うのが「星影のワルツ」や「さざんかの宿」、「北国の春」、「千曲川」だった。孫の七五三のお祝いの集まりだっただろうか、カラオケで、「さざんーかの~~や~ど」と、紅潮した顔で気持ちよく歌っていた父の顔が忘れられない。大晦日、父の墓参りに行くと聴きたくなるのが、大川栄策の「さざんかの宿」だ。大ヒットした耳慣れた曲でありながら、これまでこの曲の背景を知る由もなかったが、父を思い出しながら名曲を振り返ってみたくなった。

「さざんか」といえば、童謡の「たき火」の2番に出てくるフレーズだ。冬の帰り道「さざんか」がどんな花なのかも知らず「さざんか、さざんか……」とよく歌ったものだ。ザ・ベストテンで、初めて「さざんかの宿」(作詞・吉岡治、作曲・市川昭介、編曲・竹村次郎)を聴いたときは、ちょっと女々しい曲だわ、と思ったものだ。
リリースは、1982年8月1日。82年といったら、「花の82年組」と呼ばれるように中森明菜、小泉今日子、松本伊代、堀ちえみなどアイドルの当たり年で、演歌は埋もれてしまっていた。それなのに、「さざんかの宿」は、発売後6ケ月で100万枚を突破。大川栄策を日本中に知らしめることになったのである。













