「大川栄策」の名付け親は、昭和の代表的作曲家でありギタリストの古賀政男である。周知のとおり、古賀は国民栄誉賞も受賞しており、2020年のNHK連続テレビ小説「エール」のモデルになった古関裕而とライバル関係にある作曲家だった。ドラマの中では、人気ロックバンド「RADWIMPS」のボーカル・ギターの野田洋次郎が演じたのが記憶に新しい。
古賀も、大川も福岡県大川市出身で、高校1年の時に古賀の知遇を得た大川は、卒業後上京しアルバイトをしながら古賀の音楽教室で学ぶ。当時の古賀は、村田英雄の「無法松の一生」、美空ひばりの「悲しい酒」「柔」、北島三郎らが歌った「東京五輪音頭」などミリオンセラーを連発する雲の上の存在だった。大川は作曲、ギターなど300人を超える弟子の中から身の回りのこともお世話をする最後の内弟子になった。車の送迎から日常の雑事、人に対する礼儀作法を教え込まれた。故郷の「大川」を「栄」える「策」と込められた「大川栄策」として、1969年6月、「目ン無い千鳥」(作詞・サトウハチロー、作曲・古賀政男、編曲・佐伯亮)でデビューしたのは20歳のときである。複数の歌手にカバーされ、大川の代表曲のひとつになっているが、そのあとは地味な活動が続く。
1980年に大ヒットした都はるみの「大阪しぐれ」(作詞・吉岡治、作曲・市川昭介、編曲・斉藤恒夫)に痛く感動した大川は、作詞を吉岡治に直接依頼し、できあがったのが「さざんかの宿」だった。デビューから13年が経ち、残念ながら1978年7月に亡くなった師匠の古賀には晴れ姿を見せることができなかった。ザ・ベストテンの番組内では、故郷の大川市が家具の街で、実家も家具屋を営み子供の頃よく手伝いをしていたことから、箪笥を担いで歌ったことが今でも伝説になっている。
他人の妻とは知りながら惹かれあう男女の悲恋を歌った「さざんかの宿」は累計180万枚の売り上げを記録し、1983年のNHK紅白歌合戦に初出場を果たし、第25回日本レコード大賞では、ロングセラー賞を受賞している。
注目したのは、大川が惚れ込んだ作詞家の吉岡治である。演歌に詳しい方ならお馴染みの作詞家だろうが、演歌からポップス、童謡からアニメソングまで、たくさんのジャンルでヒット曲を遺した音楽家である。
吉岡は昭和9年、山口県生まれ。早くに母を亡くし、父と炭鉱町を渡り歩く貧しい少年時代を送ったが、父も16歳で他界。吉岡の寂しさを癒してくれたのが歌だった。詩人のサトウハチローの門下生になり、28歳の時、童謡「おもちゃのチャチャチャ」がヒット、「あわてんぼうのサンタクロース」も吉岡の作品だ。その後、流行歌に転じ、美空ひばりとジャッキー吉川とブルー・コメッツの「真赤な太陽」(67年)は、演歌の女王をポップスへ導いた。千賀かほるの「真夜中のギター」もヒット、しかし吉岡は人生の哀愁や人情、日本人の「心」を表現する演歌にこだわった。なかなかヒット曲に恵まれず、開花したのが都はるみの「大阪しぐれ」だった。本曲では、日本作詞大賞を受賞している。
「行間の詩人」と異名を取るその作品は、歌詞の行間に思いが込められている。盟友の作曲家・弦哲也と天城の宿に籠って生み出した石川さゆりの「天城越え」をはじめ、「波止場時雨」「夫婦善哉」、五木ひろし「細雪」、瀬川瑛子「命くれない」、内田あかり「好色一代女」など、あげればキリがないが、人気アニメ『キャプテン翼』の「燃えてヒーロー」、「冬のライオン」、「明日に向かってシュート」などの作詞も手掛けているのが興味深い。
吉岡の演歌は、女性の抑えきれない深い愛憎や執着を詞にしたものが多い。「さざんかの宿」は、男性からの許されぬ恋慕を歌っているが、吉岡の行間に込めた思いを大川の丁寧な歌唱で、許されぬ愛が美しい「純愛」に化している。たぶん、父にはこんな経験はなかっただろうが、白い雪を被った真っ赤なさざんかの花を思い浮かべながら、「さざんかの宿」の世界にどっぷり浸かってマイクを握りしめていたのだろう。瞼を閉じてうっすら涙を伝わせ、歌っていた父の姿がよみがえってきた。
「大川栄策さん、いい歌を遺してくれてありがとう」と、一言伝えたくなった。
文=黒澤百々子 イラスト=山﨑杉夫













