わが昭和歌謡はドーナツ盤

大ヒットドラマが映画『五十年目の俺たちの旅』となって主題歌「俺たちの旅」を歌唱する中村雅俊と作詩作曲した小椋佳との音楽を通じた深い因縁に驚かされる

 
 昭和を代表する青春ドラマの金字塔「俺たちの旅」が放送されたのは、1975年~76年。日本テレビ系日曜日の20時枠だった。当初半年のクールが1年に延び、ドラマが終わった後も、10年目、20年目、30年目と同じメンバーにより、スペシャルドラマがつくられた。脚本家の鎌田敏夫には40年目の構想もあったというが、チーフディレクターの斎藤光正監督が亡くなり実現されなかった。

 そして節目の50周年に初めて映画化された『五十年目の俺たちの旅』は鎌田敏夫から指名された中村雅俊が監督を務め、現在公開中だ。カースケ(津村浩介)を演じた中村雅俊、オメダ(中谷隆夫)を演じた田中健、グズ六(熊沢伸六)役の秋野太作、オメダの妹の真弓役の岡田奈々、同じメンバーの50年後が描かれるのは奇跡といっても過言ではない。久しくテレビや映画で見かけなくなった岡田奈々の出演が楽しみで映画館に足を運んだ。

 中村も田中も74歳、秋野は82歳、すっかり老齢の域に達したとはいえ、カッコいい。映画のジャケット写真のお召し物にはそれぞれに「赤」を取りいれているのがお洒落だ。当時10代だった岡田奈々も、ブランクを感じさせない。初めて見たのはグリコのポッキーのCMだったと思うが、子供心に家にあったフランス人形のようだと思った。そして今でも華奢で可憐、同性から見ても羨ましい歳の重ね方をしていた。

 50年前のドラマの主人公たちは、目標に向かってまっすぐ突き進むタイプの優等生ではない。大学を中退し、定職にもつかず、社会のレールから外れた若者たちだ。舞台は若者たちに人気の東京・吉祥寺だった。

 50年後のカースケは町工場の社長、オメダは米子市長、会社に入っても長続きしなかったグズ六は介護施設の理事長になっていた。真弓はカースケが思いを寄せた洋子(金沢碧)の看病により、少し精神を病んでいるような難しい役どころだった。洋子はカースケとのすれ違いを繰り返し、結局別の人と結婚、離婚し、闘病のすえ既に亡くなっていた。洋子がカースケに言い残したことばを、真弓が駅の伝言板に書くのだが、そのメッセージに思わず目頭が熱くなってしまった。

 
 主演の中村雅俊は宮城県女川町という港町で生まれ育ち、外交官を目指して慶応義塾大学に進む。英語のサークルに入部し英語劇に出合ったことから、演劇に魅了され文学座の研究生になった。1974年の日本テレビ系「われら青春!」は、当初松田優作が主演の予定だったが、他のドラマとの関係で急遽出演できなくなり、中村がオーディションに行くことになった。そこで脚本家の鎌田と出会い、みごと主役のラグビー部顧問の教師役を射止めた。その体当たりの演技は、長身で長髪の大型新人として注目された。さらにドラマの挿入歌「ふれあい」で歌手デビューし、100万枚を超すミリオンセラーを記録、まさにシンデレラボーイだ。続いて翌年松田優作主演の「俺たちの勲章」に出演。そこでは妻となる五十嵐淳子との出会いがあった。そしてドラマ「俺たちの旅」の主人公へと、青春ドラマの顔となっていった。

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