向田邦子の散歩道

忙しい時こそのゆとりの時間

 霞町に六年余りお世話になり、南青山のマンションに転居。偶然通りかかった道のゆきついたところ、まだ基礎工事中。そこでこのマンションの立看板が目にとびこみ予約した。この道の両側は生垣の家屋がほとんどで、土の香も樹々のみどりも季節の移ろいもマンションのベランダに出ると目の前である。ここが終の棲家となった。

 情報も自分が発信することを趣味と思い込んではりきる。ちょっと滑稽で笑いをのみ込むこともあるけれど、おつきあいする。ご近所のケーキ屋に入れ込んで、キャロット・ケーキばかり食べさせられたこともある。野菜のケーキがめずらしい時代で、新しもの好きでこれしか目に入らず、これしか買わない頑固者。

 店先の柳の木が目印の「菊家」。水羊羹に干菓子。粋な着物をゆったり着こなした先代の女主人がゆき届いた応対をしてくれ、緋毛氈をあしらった待合の椅子に腰かける。「唐衣」「結柳」と墨文字が美しく書かれた紙札が入った干菓子。季節ごとに変る生菓子に四季のある日本っていいなと思う。水羊羹は桜の葉っぱの上に切口と角のあるもの、のどごしのよさを好む。器もお茶も心おきなく自分好みにして、このひとときを味わうぜいたく。忙しい時こそこんな身近なことにゆとりを見出したかったのだろう。日持ちのよい干菓子は、まな板皿に季節を盛り込んで愉しんでいた。

菓匠 菊屋
南青山の骨董通りにある昭和10年創業の和菓子の店。邦子さんは先代の女将・秋田きみ子さんの優雅な物腰と、この店の菓子の甘さの加減が好きで霞町時代から通いつめた。取材旅行にもここの干菓子を持参したほど。今の時代だからということではなく、お茶席で使われることが多いため、甘さを控え目にしています、と二代目の秋田隆子さん。

 長くおつきあい出来るものは、魚であれ菓子であれ、果物であれ、そのものが主役かもしれないが、それ以上にそれに携わる人間があってのことだ。これが決め手。相性もあるだろう。その人の品性、個性、そのものに対する熱意、その総合したもの。邦子の感性は見抜いている。大いなる時を経てもその価値は変らず、感動を伝える。そのことをこのそぞろ歩きで身にしみて知ることが出来た。ふと気づくと、姉が手招きして案内してくれていた……。

 なくなったものもある。違った場所で生き生きと活躍しているだろう。失ったものを失望したり悲しむ。瞬間的には、たまにはそれもよしか。

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