放浪の画家「山下 清の世界」を今。

▲試写体を見ながらスケッチをするのではなく、自分の脳裏にイメージを焼き付け一気に描く。さらに驚くのは、朝10時から制作に入り、12時昼食、3時休憩、夕方5時にはぴたりとやめてしまう。時間内での集中力は驚異的だったと、そばで見ていた甥の浩氏は『家族が語る山下清』で語っている。

 代表作に「長岡の花火」がある。一九四九年、清ははじめて長岡の歴史ある花火大会を見学したが、その光景が描かれたのは一年あとの夏のこと。つまり記憶によって濾過された花火のイメージが作品になったのである。

 川の両岸を埋めているおびただしい数の観客が、小さくちぎった黒と白の紙で表現されている。川面には尺玉の光が照り映え、地上のものはすべて細かな粒となって一体化しながら、画面の外へとあふれだしていく。上空には、いくつもの大輪の光が人間を超えた存在のように堂々と見下ろしている。

▲《長岡の花火》1950(昭和25)年 貼絵 53×75cm 山下清作品管理事務所蔵© Kiyoshi Yamashita / STEPeast 2023
清が、28歳の時に制作したものだ。

 清は花火が好きで、亡くなる前に口にした最後の言葉は、「今年の花火見物はどこに行こうかなあ」だったという。花火は夜空に現われても次の瞬間には消えている。鮮烈なイメージにもかかわらず、留まる時間はごく短い。それゆえに印象は一層強くなって記憶に残ったのだろう。

 彼にとっての放浪の魅力もそこにあったのかもしれない。一箇所に留まれば自然と薄れていく印象を脳裏に深く刻み込むために、移動を繰り返し、瞼に映すものを変化させていったのだ。

▲《ぼけ》1951(昭和26)年 油彩 58×44cm 山下清作品管理事務所蔵© Kiyoshi Yamashita / STEPeast 2023
いつしか、清は「日本のゴッホ」と呼ばれるようになった。精神科医でゴッホ研究家でもある式場隆三郎は、八幡学園の顧問医でもあり、早くから清の才能を見出した一人。日本画壇の中心人物だった梅原龍三郎も「その美の烈しさ、純粋さはゴッホやアンリ・ルソーの水準に達している」とコメントを残した。《ぼけ》は、ゴッホの《花咲くアーモンドの木の枝》に構図が似ている。

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