今から30年ほど前、まだ50歳になる手前の二代目中村吉右衛門にインタビューをしたことがある。そのときの言葉は今も記憶に残っている。
「すでに完成された総合芸術である歌舞伎が大きく飛躍するためには、天才が必要です。次の天才が現れるためにも、歌舞伎のこれまでの流れを絶やしてはいけない。歌舞伎を絶滅してしまった恐竜にしないためにも、ぼくはその伝統をいじらず、次へとつなげたい」(『JAPAN AVENUE』1993年6月号より)
この発言の「歌舞伎」という言葉を「時代劇」に置き換えても、違和感はない。時代劇もまたその伝統を受け継ぐことで飛躍を遂げてきたのである。中村吉右衛門は自身の役割を「つなぎ」と謙虚に語ったが、歌舞伎においては天才と評された初代吉右衛門をしのぐ演技を見せ、人間国宝(2011年)にも認定された。そして、時代劇においても大きな足跡を残した。
そう、池波正太郎原作の『鬼平犯科帳』の主人公・長谷川平蔵役である。
インタビューをしたのは中村吉右衛門がテレビで鬼平を演じるようになって4年が過ぎようとしていた頃。ここから2016年12月まで全150本を演じきった。それまで鬼平は初代松本白鸚(当時は松本幸四郎)、丹波哲郎、萬屋錦之介が演じてきたが、中村吉右衛門によって完成されたというのは衆目一致する見方だった。
鬼平は身を挺して悪と徹底的に闘う。しかし、ただの善玉ヒーローではない。若い頃には放蕩無頼の日々を過ごし、市井の人たちの人情の機微に通じた繊細な優しさを持ち併せている。洒脱で、食道楽でもある。部下や密偵、ときには盗賊にも慕われる。そんな鬼平に扮した吉右衛門は絶品だった。「長谷川平蔵=中村吉右衛門」は時代劇ファンの共通認識となった。だから、彼が鬼籍に入ったことで、もう2度と新しい鬼平作品は見られないものと多くの人が思ったものだ。
ところが、である。
長谷川平蔵は颯爽と帰ってきた。演じるのは十代目松本幸四郎。これがすこぶるいいのだ。快活で、色気があって、声に艶がある。凄みや迫力という分かりやすい個性だけでなく、とっぽくてお茶目な気配も画面から立ちのぼってくる。
幸四郎版のSEASON1第1弾となったテレビスペシャル「鬼平犯科帳 本所・桜屋敷」では、火付盗賊改方長官に就いたばかりの平蔵が「本所の銕」と呼ばれた青春期の思い出とつながる事件に向き合う。若き日の鬼平を演じるのは幸四郎の長男・市川染五郎。言うまでもなく幸四郎の祖父は松本白鸚であり、中村吉右衛門は叔父。冒頭の吉右衛門の言葉を借りれば、『鬼平犯科帳』の伝統は4つの世代に渡ってつながったのである。
鬼平の周辺に配されたおなじみの人物も、演じる役者は様変わりした。本宮泰風(筆頭与力・佐嶋忠介)、浅利陽介(同心・木村忠吾)、火野正平(密偵・相模の彦十)、中村ゆり(密偵・おまさ)ら、個性も実力もある脇役が鬼平の周辺を惑星のように動き、話は重層的に展開する。第2弾の劇場版『鬼平犯科帳 血闘』では屈指の人気キャラクター、おまさの存在がクローズアップされる。色香の奥に一途さや切実さを漂わせ、中村ゆりの当たり役になりそうだ。
『血闘』では鬼平を激しく憎む残忍な悪役、網切の甚五郎(北村有起哉)が現れ、鬼平を罠にはめようと暗躍する。物語は前作以上に緊迫し、鬼平の感情も揺れる。躊躇と果断。憂慮と豪胆。冷徹と慈愛。対立する要素が瞬時に入れ替わりながら、鬼平は鬼平らしさを増していく。
山下智彦監督以下、撮影、照明、美術、小道具に至るまで、時代劇をつくるうえで最高水準の職人が揃い、見事な映像を紡いでいるのも本シリーズの美点だ。とりわけ障子や襖を生かした日本家屋の端正な構図。差し込む光や影が画面に陰翳をもたらし、軍鶏鍋から立つ湯気一つにも風情が漂い、物語に深みを運び込む。
もちろん、クライマックスには時代劇の醍醐味である殺陣が待っている。精緻な構図を壊さんばかりに剣と剣が激しく交わり、活劇の血管が脈を打ち始めるのだ。その中心にいる松本幸四郎のしなやかな剣さばきを見ていると、新しい鬼平による、新しい時代劇が幕を開けたことをあらためて実感させられる。