次に、屋外シーンでの二人の歩き。
『山の音』(54)の冒頭、東京の会社から鎌倉の家に帰宅途中の義父の山村總に、自転車で買い物帰りの嫁の原節子が来て、自転車を降りて会話しながら道を歩く。途中で原節子が立ち止まる。少し前にいる山村總が振り返り会話を続ける。原節子がゆっくりと歩きだしまた二人は並んで歩いていく。二人の背中に、晩夏の陽射しが上から下へ移動する、撮影監督=玉井正夫による流麗なカメラワークはひたすら美しい。
このAが立ち止まり、少し斜め前にいるBが振り返り、また並んで歩くのは、「成瀬リズム」とも呼べる独特の屋外の人物の動かし方だ。成瀬映画には必ずといっていいほど出てくる演出術の一つ。振り返りによってアングルが変わる。順光と逆光の太陽光の濃淡の映像表現も素晴らしい効果をあげている。
成瀬映画は、場面転換のテンポ、省略の切れ味も見事だ。
『おかあさん』(52 新東宝)で、寒空の中、田中絹代の娘の香川京子は、家計を助けるために原っぱで今川焼を売っている。横にはパン屋の恋人の岡田英次と客の男。今川焼の旗がくるりと変わり【場面転換】アイスキャンデーの旗に。同じ場所に夏服でアイスキャンデーを売っている香川京子と岡田英次、客の男の姿が。1秒で冬から夏へ物語を進めてしまうのだ。
『浮雲』(55)の前半、森雅之と高峰秀子は安ホテルの部屋に入る。会話の後に、戦中の回想シーンとなる。仏印ダラット(現ベトナム)の森の中を歩く二人。足を止める森雅之が高峰秀子を抱き寄せるショット。【場面転換】現在のホテルの部屋の二人が唇を合わせるショット。過去から現在へのアクションをリズミカルにつなげた技巧的なショットで見せる。
筆者が成瀬映画の中で最も感嘆したのは『杏っ子』(58)の中の場面転換。
新婚旅行の旅館の部屋の中の木村功と香川京子。そこに仲居が来て「お床を敷かせていただきます」と伝え布団を出して敷き始める。木村は部屋を出て風呂に行く。一人残った香川は、窓のところの椅子に座って少し恥ずかしそうな仕草をしている。【場面転換】昭和二十五年(新婚旅行から二年~三年後の意)の文字。東京・本郷の路地のチンドン屋(これも成瀬映画によく登場する)。香川は庭から干した布団を持って部屋に入れている。筆者はこの映画を六回目に観た時に突然「これは布団つながりだ」と気付いた。新婚旅行で旅館の仲居が敷いてくれた布団を、妻となった香川は自分で庭から部屋に取り込む。少しこじつけの解釈をすれば、布団は「恥じらいの対象」から「日常のもの」へ変化している。小道具(布団)と人物のアクションを使って香川の環境の変化を表現している。なお『杏っ子』は原作=室生犀星で脚色は田中澄江と成瀬巳喜男。共同脚色の成瀬監督自身が関わっていると推察できる。
映画評の要素にはストーリー、(社会的な)テーマ、時代背景などがあるが、成瀬映画ではまずは卓越した映画術(演出)を味わってほしい。成瀬映画の凄さが実感できると思う。