江戸時代の〝メディア王〟蔦屋重三郎の仕事─消費者の視点で、人々が楽しむもの、面白いものを追い求めた男

①読め。
➁耳をたてろ。
➂夜寝るときも眼を開いたままで眠れ。
➃右足で一歩一歩歩きながら左足で跳べ。
➄トラブルを歓迎しろ。
➅遊べ。
⑦飲め。
➇抱け。抱かれろ。
➈森羅万象に多情多恨たれ。    
(開高健著『一言半句の戦場』より)

▲「雛形若菜初模様 丁字屋内ひな鶴」礒田湖龍斎筆 大判錦絵 安永4年(1775)頃 東京国立博物館蔵
前期展示:4/22~5/18

 
 芥川賞作家の開高健は、若い頃は寿屋(現・サントリー)の宣伝部員として伝説のPR誌を手がけている。2万部程度だった発行部数が20万部まで伸びたのは宣伝色が薄く、内容が抜群に面白かったからだ。そんなPR誌の編集兼発行人を務めた作家が挙げる9項目。おそらく蔦重にはすべてが備わっていたはずである。

 ①、➁、➂、➅、⑦はよく飲み、よく食べ、よく遊びながらも常にアンテナを張り巡らせ、大事な情報をキャッチしろということだ。➈はあらゆることに好奇心を持って接しなさいという意味である。➃については、そんなこと器用なことはできないよと思う人は多いだろう。これは「ときには細心に、ときには大胆に」と解釈してもいいし、「堅実な仕事と冒険する仕事を両立させなさい」と解釈してもいいとぼくは思っている。

 新しい分野に次々に挑み、新機軸を打ち出していった蔦重だが、実は手堅い仕事もきっちりこなしている。その一つが往来物と呼ばれる寺子屋などで使うテキストだ。この時代は商人向けの「商売往来」や武士向けの「武士往来」など数多くの往来物が刊行され、蔦重もこうした実用書に取り組んだ。往来物は爆発的には売れないが確実な需要が見込めるため、経営の安定化につながった。蔦重が台頭したのは日本全国で寺子屋が増え、識字率が飛躍的に高まり、本の需要が一気に拡大した時代でもあったのだ。

 ➇は恋愛を自分自身の糧にしろという意味だが、広く人間関係のことを言っているとも解釈できる。才能や魅力を感じた人の懐に飛び込み、自分も相手を受け入れる。これもまた編集者に求められる資質だろう。蔦重は江戸が狂歌ブームで沸くと、「蔦唐丸」を名乗って自ら歌会を催した。そこには大田南畝のような狂歌の第一人者ばかりか、戯作者、浮世絵師、出版人など、さまざまな人々が集った。一種のサロンを形成したのである。こうした人的交流を易々とやってのけるのが蔦重である。その才能は「ネットワーカー」というより、「人たらし」と呼ぶほうがふさわしい。

 狂歌を通じて見出した一人がまだ無名だった頃の喜多川歌麿である。蔦重は歌麿を自分の店に住まわせ、専属絵師のような形で重用した。若い頃の曲亭馬琴も耕書堂で働かせているし、ブレイクする以前の葛飾北斎とも仕事をしている。蔦重の新しい才能を見る目はたしかだった。

▲『画本虫撰』宿屋飯盛撰/喜多川歌麿画 彩色摺大本 天明8年(1788)正月 千葉市美術館蔵 前期展示:4/22~5/18(後期は別本を展示)


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