SPECIAL FEATURE

<特集>画家 江見絹子という奇才─変貌を続けた画業と母の貌─

 私生活では私の父、アンリとの出会いがあった。船乗りと画家は神戸で知り合った。絹子が長い髪をなびかせて自転車を漕いでいるのに、アンリが「ハロー」と声をかけたらしい。ロマンチックないきさつがあったはずだが、絹子は自らの結婚を語るのに「騙された」以外の言葉を持たなかった。彼女がアンリから逃げきれなかったのは、彼の美貌のせいだろう。画家は美しいものが好きなのだ。

▲《いのち》制作中の江見絹子と夫のアンリ・ガイヤール。荻野は父親の半生をモデルにした長編小説『ホラ吹きアンリの冒険』で2002年読売文学賞を受賞した。

 結婚して5年で、ようやく私が誕生する。子供を強く望んでいたアンリは、そうなると手のひらを返し、酒と女に溺れた。子供さえいれば妻は自分から逃げられない、という計算だったのだ。当時は珍しい国際結婚だったが、これまた当時は珍しい家庭内離婚がわが家の現実となる。

▲江見絹子の横浜市山手町の自宅兼アトリエと庭。邸宅の南に位置する庭は江見自身のデザインによる。アトリエの建築を始めた一番忙しい時期に妊娠がわかった。この時期に描いた《生誕》は、次代を担う若手作家のための美術賞「シェル美術賞」を受賞。江見は2015年に没するまで、終生このアトリエで筆をもち続けた。現在、この自邸兼アトリエを郷土資料館として整備する方向で進められている。

 
 絹子にとっては、結婚も出産も流れに任せた結果だが、いかなる時も絵を忘れたことはなかった。私の誕生前後から、抽象画は世間では一種のブームとなり、絹子は寝る間を惜しんで制作に集中した。

「あんたには布団はいらんな」

 関西の母は腕まくりをして上京し、育児と家事を手伝ってくれるようになった。小さな私は言ったらしい。

「私のお母さんはおばあちゃんだと思うんだけど、もしかしたらママかな」

 その頃のことだろう。鍵のかかったアトリエのドアを、私は小さな拳で叩き続けたという。心を鬼にして、絹子は絵筆を離さなかった。この辺りの記憶は、私にはない。

▲江見絹子 《 作品3 》 1962 年 油彩 、 カンヴァス 140.0㎝×116.9㎝ 神奈川県立近代美術館蔵 *第31 回ヴェネチア・ ビエンナーレ出品作品
「日本の現代美術」と題した1962年の第31回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館の展示には、4人の画家と彫刻家の向井良吉が日本代表として選出された。江見らは、8点の作品を出品した。


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