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<特集>画家 江見絹子という奇才─変貌を続けた画業と母の貌─

▲江見絹子 《 萬象の海 》 1979年 油彩、 カンヴァス 130.3㎝×162.0㎝ 神奈川県立近代美術館蔵
本作は、《子午線》から、《萬象の海》と改題された。作品の改題は、変貌する画家・江見絹子のたゆまない芸術への追及を示唆している。

 

 私が中学生になる頃には、絹子の忙しさは一段落していた。制作から解放されると、彼女は良き主婦と言いたいところだが、それを通り越した完璧主義を発揮した。朝、私を起こすのに、まずは雨戸を開ける。その音と光で半分目の覚めた私の足にソックスを履かせる。それから上体を起こす、という手間をかける。

 私が食べ盛りになると、母は毎日3つの弁当箱を満杯にした。ひとつはご飯、もうひとつはおかず、三つ目は早弁用のサンドイッチである。デザートのフルーツは、オレンジの薄皮まで剥いてあった。

 これは私が最初の留学から戻った時の話。フランスから送った衣類の箱が着いた。中身はもちろん洗濯済みである。絹子はすべて洗い直した。なぜだか聞いてみると、「フランスの水は汚い」との答え。確かにあちらの水は硬水だが、その手間をかける時間を絵に回したほうが、と娘は考える。しかし絵に完璧を求める画家は、家事も芸術的にこなすのが習い性となっていた。

 祖母は私が大学を卒業する年の冬に亡くなった。寝付くことなく天寿をまっとうしたが、絹子には母親が死ぬという発想がなかった。数日で10キロ近く痩せた。血圧の乱高下を始め、全身に不調が出た。夏には秋の展覧会のために大作を仕上げるのだが、この年は暑さの中であんかを抱えて布団にくるまっている。それでも絹子はアトリエに入った。声をあげて泣きながら描くのは、人生で初めての体験だった。

▲江見絹子 《 FUDARAKU 》 1980年 油彩、カンヴァス130.8㎝×161.8㎝ 神奈川県立近代美術館蔵
1975年から1986年にかけて、「溶かす」技法を作品全体に応用し、独自の宇宙観を表現する作品に挑戦した。本作完成の前年に最愛の母を亡くした江見は、「おかあちゃん」と泣きながらカンヴァスに向かっていた。

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