久世光彦のテレビ

連帯を夢見る個を生きる人

 人々も風物も匂いやかだったあのころ。人々はみんな、それぞれがそれぞれでいられた。植木屋さんは植木屋さんらしく、勤め人は勤め人らしく、お母さんはお母さんらしくて老人は老いた人だった。見ためがその人の本質とつながっていた。安心して、ちゃんとそれぞれでいられた。いつのころからか、見ためではその人がわかりづらくなり、だんだん同じようになって、バーチャル化され記号化されて……。 


 久世さんはいいタイミングで逝ってしまったのかもしれない。久世さんのドラマは狭い畳部屋のセットに役者と卓袱台と遺影を置き、手下たちが楽しそうに陰口を叩いた「お便所の百ワット」みたいなテッカテカに明るい照明で作られた。それなのに久世ドラマにはちゃんと闇があった。テッカテカに照らされても、人が抱く闇の匂いがあった。

本木雅弘も沢田研二同様、久世さんに〝美しい青年〟と称された俳優で「お玉・幸造夫婦です」「涙たたえて微笑せよ」「夏目家の食卓」(テレビドラマの久世さんの遺作)に出演した。

 全然親しくなれなかった久世さん。こんな私が時おり垣間見た久世さんはいつだって華やかな人たちに囲まれて、演出家としても作家としても忙しく、女優達には絶対的な人気があって、女に関しては「ワタクシは千人斬りなどしておりません。せいぜい〇百人」なんて大風呂敷を拡げてみたり、チェーンスモーカーみたいに缶入りの両切りピースをプカプカやりながら「なんで俺の肺は黒くならないんだろう。早く真っ黒になればいい」などとほざきながら、ジジイなのに茶パツに染めてみたり、相変わらずノーアイロンのシャツにコッパンで素足にズック、ちょっと猫背のまま痩せた肩をそびやかして歩いていた。

 そして久世さんはやっぱり、昭和の男だった。どこかで読んだフレーズだけど、今の人たちのように「個を夢見て、連帯を生きる」のではなく、「本物の連帯を夢見て、個を生きる」人だった。そう生きるしかないカッコつけたがりやで痩せがまんの、昭和の男だった。

 もういち度、あの茜色の夕陽が射す「ナポレオン」で久世さんと向き合って、可能性にあふれた真っ白な紙を真っ黒にして遊びたいなぁと、懐かしく、思うのであります。

くぜ てるひこ
1935年、東京都杉並区阿佐谷に生まれる。60年に東京大学文学部美学美術史学科卒業後、ラジオ東京(現TBSテレビ)入社、演出家、プロデューサーとしてテレビ史に残る数多くの作品を制作。78年にTBSを退社、カノックスを設立。同年映画『夢一族』で映画監督デビュー。また、87年に出版された処女作『昭和幻燈館』を皮切りに作家活動を開始。小説、エッセイ、評論など幅広く執筆活動を行う。テレビの演出に本文で紹介の他「真田幸村」「おはよう」「さくらの唄」「虹子の冒険」「向田邦子新春ドラマ・春が来た」「刑事ヨロシク」「あとは寝るだけ」「危険なふたり」「恋子の毎日」「花嫁人形は眠らない」「艶唄・旅の終りに」「キツイ奴ら」「明日はアタシの風が吹く」「華岡青洲の妻」「雁」「にごりえ」「夫婦善哉」「恍惚の人99」「碧空のタンゴ」「センセイの鞄」「夏目家の食卓」など多数の作品がある。ドラマ「女正月」他の演出で芸術選奨文部大臣賞、作詞を手がけた香西かおり「無言坂」でレコード大賞、小説『一九三四年冬─乱歩』で山本周五郎賞、小説『聖なる春』で芸術選奨文学部門文部大臣賞小説賞、小説『粛々館日録』で泉鏡花文学賞、さらに紫綬褒章など受賞・章歴多数。97年『浅草慕情─なつかしのパラダイス』で初の舞台演出以後、毎年舞台演出にも取り組んだ。06年に70歳で永眠。

つつい ともみ
脚本家、小説家。東京都出身。成城大学文芸学部文芸学科国文コース卒業。1996年、テレビドラマ「響子」(向田邦子新春ドラマ)と「小石川の家」(2作とも演出は久世光彦さん)で、向田邦子賞受賞。テレビドラマ「必殺仕事人」「家族ゲーム」「あ・うん」「センセイの鞄」など多数の脚本を手掛ける。著書に『月影の市』『女優』『舌の記憶』『食べる女Ⅰ・Ⅱ』『旅する女』など多数。

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