役柄が芸者とはいえ、岡田は初めて大人の女を演じる喜びに震える。入浴シーンのポスターが盗まれたのも『思春期』以来で、池部とのラブシーンも「とても素晴らしかった」と本人から褒められたほど。ラッシュを見た岡田が手応えを感じたとおり、映画はヒットに恵まれる。しかし、この映画の成功が重い足かせとなるとは、本人ですら想像もしていないことだった。
『風立ちぬ』『君死に給うなかれ』『潮騒』『宮本武蔵』などで、自分がやりたかった役が他の女優に回っていったことに不満を覚えていた岡田は、岸惠子と久我美子の文芸プロダクション「にんじんくらぶ」に加わった有馬稲子を意識したものか、54年秋の再契約を渋り、55年3月には東宝に退社の意向を示す。
会社から遺留を受け、渋々ながら11月に再契約に応じた岡田。その間出演した『浮雲』(55:またも入浴シーンが評判となる)で、成瀬に「上手いね」と演技を評価されはしたものの、〈役を演じること〉への疑問は募るばかり(※1)。続く『男ありて』(珍しく普通のお嬢さん役)への出演に会社が反対していると知るや、岡田は撮影所長と直談判に及び、この役を獲得する。特定の役ばかり演じることに、ほとほと嫌気がさしていたのであろう。
その後、森繁久彌や三船との共演作(※2)もあったが、「女優としてのイメージと闘う」日々が続く岡田に、会社が要求したのは、またもや芸者役=『芸者小夏』の続編だった。
56年の成瀬作品『流れる』では、父と共演経験のある栗島すみ子、田中絹代、高峰秀子や、山田五十鈴、杉村春子と演技を競い合う貴重な体験をしたものの、今度も芸者役だったことにウンザリした岡田は、いよいよその年11月の再契約を保留、57年3月に正式にフリーの立場を選ぶ。よって成瀬とのコンビも、この映画が最後となった。

後年、東宝時代の思い出は「原節子と結髪部屋で食事を共にし、楽しく話をしたことしかない」と語った岡田。彼女にとって東宝は、やはり居心地の良い会社ではなかったのだろう。











