さらに続く言葉から、大倉の考える俳優の仕事の片鱗を垣間見ることができる。
「全作品ではないですが、30年も台本がないことに慣れているなかで芝居をしているせいか、自分自身がどうしたい、どう演じたいとか、芝居がどうなってほしいとか何かを考えることはないですね。KERAさんが書くようにしかならない。こういうことを言うと無責任に思われるかもしれませんが、ぼくはやはり与えられたものを形にするのが仕事なので、自分自身が何かを人に発信したり、こんなことを届けたいとかほぼ思わないですね。それは作品が背負っているものなので」
台本がないスタイルに関して面白いとか、面白くないとか考えたことがないが、できれば台本はあったほうがいいかなとは思うと言いつつ、
「KERAさんが台本を稽古初日に用意していないことを全面的に肯定するわけではないのですが、ぼくのなかでは台本があれば必ずいいものが完成するとも実は思っていないんです。つまり煮詰めればそれだけいいものができるものでもないとどこかで思っているところがあります。あくまでぼくの自論であり、KERAさんを肯定しているわけではありません(笑)」
KERAは今回の芝居を劇構造として20代のころに書いた『カラフルメリィでオハヨ』に近いものになるような気がしている、と言っている。イカれた爺さんが少年だった頃の姿で、仲間たちと共に病院を脱走しようとする話。ドン・キホーテ同様イカれた爺さんの冒険譚だ。ナイロン100℃の前身である「劇団健康」での1988年の初演以来再演を繰り返すKERAの代表作の一つであり、唯一の私戯曲である。初演時から斬新な芝居と評判で、大倉も97年と2006年の『カラフルメリィでオハヨ~いつもの軽い致命傷の朝~』に出演している。
「かなり以前の作品で、ぼくも最後の2回は出演させてもらっているので、どこかで自分が2回やらせてもらったエッセンスが出てくると嬉しいとか懐かしいとか思うよりテレてしまいそうで……。まあ、どういうふうに『カラフルメリィでオハヨ』みたいなものなのかを楽しみたいですね。ぼくが出演させてもらったときには、すでに名作との評判もあったので、そこに斬新さとかを感じるタイミングではすでになかったです。ただ、ぼくが劇団に入ってまだ数年目だったので、その当時のKERAさんに対してのイメージは、まだどこかでコメディのほうが強かったですね。『カラフルメリィでオハヨ』というのはKERAさんとKERAさんのお父さんのことを描いた作品なので、センチメンタルな部分やナイーブな部分も描かれていて、そこがぼくとしては新鮮でした。KERAさんて、こういうこともやる人なんだと。妄想と現実が入り乱れているというのか、交互に現れるようなそういう作品だったので、そういうことをKERAさんは言いたいのかなとぼくは想像しています」