一人芝居の話になると、勢い雄弁になってくる村井。それほど、今回の一人芝居への思いが強いのだと推察される。
「一人芝居を観たときの楽しさはぼく自身も何回も体験していますが、通常の芝居より観客の立場としても得るものが多いような気がします。観客はイメージを膨らませ想像力をめぐらせて物語自体を探究するんですよ。観客という立場で言えば、一人芝居にはそれをとても感じます。一人芝居は今まさに観ながら作品を確認しているって感じで、想像力豊かに観ることができるのが非常にすばらしいことだと思いますね。受け身としてただ待っているだけでは面白いものは降ってこないという感覚でしょうか。自分からつかみにいく楽しさというような感じ。だから、今回も観客の方々にはのめり込んで観ていただけるのではないかと思っています。
と同時に、ああ、この芝居を一人でやっているんだという衝撃をだんだん観客も実感することになります。一人でやっているという衝撃と、こう魅せるんだと俳優の演技の展開に目を見張りながら、ストーリーも把握しなければといった、いろんなことが交互に入れ替わり立ち替わり観客の頭をめぐらせることになる。それが一人芝居のすごく面白いところだなと思います。
演じ手としてはけっこう大変なんですが、それも含めて観客自身が芝居というものをしっかりと体験している感覚を覚え、わからないものをちゃんとわかろうとするために自分でチェイスしていくところに、一人芝居が非常に芸術的だなと感じますね」
それにしても、若い男性、女性、老人、老婆、女の子などなど、一人で性別、年齢も超えた何人もの登場人物を瞬時に演じ分けるのは並大抵ではないだろう。日本の伝統芸能にも話術だけで、演じ分ける落語というものがあるが、その比ではないことは容易に想像できる。実際に芝居を観れば、俳優には想像以上にいろんなスキルが要求されていることがわかるだろう。
「すごくテンポが速いので、それぞれ役の色という意味で多少は声色を変えたりもしています。ただ、勝手に変わっているという感覚ですね(つまり無意識にそして瞬時に役を演じ変えているということか)。それとその役のイメージで身体の動かし方、重心が変わるというのはありますね。でも一番難しかったのはサーシャのモノローグでしょうか」
つまり、サーシャの実際のセリフと同時に、実際には口をついて出ない心の声もセリフとして語らなければいけない、その使い分けの難しさである。
「ほかの役は実際の会話なのでそんなに苦労ではないんですが、モノローグというのをどういうふうにとらえるか、演劇的表現も含めてどういうふうに見せるかについてはけっこう演出の雄さん(村井雄)と話しましたね。雄さんとは今回立ち位置なども相談しながら役を作っているんですが、わかりやすく、かつその情景が見えてくるように。結果的に雄さんとの二人の世界になっていますね。それ面白いね、それやってみようといった感じです」