第22回【私を映画に連れてって!】元フジテレビ局員が語る〝フジテレビ騒動〟で顧みる〝フジテレビイズム〟とは。そしてテレビ局とは、映画とは、ドラマとは。

 
 もう一つ、情に熱い人でもあった。ニッポン放送からフジテレビに転籍し、「三匹の侍」(1963~1965)などヒット作を連発した五社英雄氏がいる。実はフジテレビの最初と2番目の映画『御用金』(1969)と『人斬り』(1969)は共に五社英雄監督作品である。1969年にはフジテレビ映画部長になる。ところが1980年7月に拳銃所持の銃刀法違反容疑で逮捕される。諸事情はあったようだが。その3か月後にぼくがフジテレビの面接を受けた時、そのニュースは聞いていた。そして半年後、ぼくは、五社氏がかつて映画部長をしていたその「映画部」に配属。五社氏はすでに、依頼退職していた。

 
 退職後、東映からのオファーを受けた『鬼龍院花子の生涯』(1982)の大ヒットで復活。当時の五社監督のテレビ放映権の多くはフジテレビが購入した。『極道の妻たち』(1986)の際だったか、鹿内春雄氏から「ちょっと手伝ってやれや……」というようなことを個人的にも言われ、公開時、番組での応援などをやった記憶がある。五社監督は喜んでいた。特に製作にフジテレビが関わっているわけではないが、「元フジテレビ」の五社英雄氏には特別な思いもあったのかもしれない。ぼくが担当していた「ゴールデン洋画劇場」枠で放映した。

 他にも、製作に直接関わっていない映画に多数参加する機会があった。鹿内&日枝コンビの指令で? 市川崑監督の『幸福』(1981)などにも参加した。入社した年で、初めての映画の現場だった。と言っても、フォーライフレコードが出資・製作で、フジは放送権を購入(先買い)しながら、主に番組での宣伝・応援などをやった。


 市川崑監督とも初対面で、「欽ドン!良い子悪い子普通の子」(フジテレビ/1981)に映画の宣伝で出演依頼をした。「いやぁ、僕、入れ歯なんで、喋ってるときに外れるとまずいから……」と言われたので「録画番組なので、撮り直せますので」と言って出演してもらったような……。

 
 2008年、亡くなるちょっと前に市川監督から「『幸福』は公開上映したきりDVDにもならず、なんとか今一度上映、それとブルーレイとかに……」と依頼された。色んな事情はあったのだが、自分がやらなきゃ実現できないと思い、製作にフジテレビが関わっている映画ではなかったが、国立アーカーブ(当時はフィルムセンター)やイマジカの協力を得て、難しい銀残し(シルバーカラー)作業を行なった。東京のイマジカではもうその作業は出来ず、大阪イマジカにも行って作業した。完成版は汐留FSホールで完成披露試写会を行ない、主演の水谷豊さんも登壇してくれ、二人で映画のトークをした。

▲筆者が新入社員の年に担当した1981年10月10日公開の映画『幸福』。エド・マクベインの小説『87分署シリーズ』の一篇「クレアが死んでいる」を原作にした作品で、メガホンをとったのは市川崑監督。市川監督は、60年の自身の映画『おとうと』で試みた特殊現像処理法「銀残し(シルバー・カラー)」に再度挑戦した。妻に去られ二人の子どもを育てる刑事(水谷豊)と、恋人を殺され報復に燃える若い刑事(永島敏行)を主人公に、事件が解決される過程で、現代社会における幸福とは何かを描く。キネマ旬報ベスト・テン第6位に輝き、永島敏行は『遠雷』とあわせてキネマ旬報ベスト・テン主演男優賞に輝いた。谷啓、中原理恵、市原悦子、草笛光子、加藤武らも出演。

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