第22回【私を映画に連れてって!】元フジテレビ局員が語る〝フジテレビ騒動〟で顧みる〝フジテレビイズム〟とは。そしてテレビ局とは、映画とは、ドラマとは。



 さらに『瀬戸内少年野球団』(篠田正浩監督/1984)がある。夏目雅子主演で、様々な賞に輝き、ヒットもした。ほぼ、全額フジテレビ出資の映画だが、クレジットには「フジテレビ」及び関係者のクレジットはない。元々、原作者である阿久悠さんのために「YOUの会」の有志で結成され、映画化を目指していた。そこにぼくの師匠筋でもあるヘラルド・エースの原正人社長が中心となり、映画にするにあたりフジテレビに相談、出資の大部分はフジテレビが持つことになった。今では考えにくいが「製作:YOUの会+ヘラルド・エース」のクレジットでフジテレビ関係クレジットは無い。ぼくも製作、宣伝と走り回り、夏目雅子さんを自宅に送っていくこともあった。でも、なぜか、そのフジテレビのスタンスを、当時「カッコいいな」と感じた。「楽しくなければテレビじゃない……」だけでは無い、裏方に回って良い作品を生み、前面に出ずに公開する。フジテレビの「余裕」すら感じた。外部ではあるが「人」に乗ったのである。ビジネス以前の何かに……。これが「フジテレビイズム」だと思った。


 松本隆監督のデビュー映画『微熱少年』(1987)はじめ、会社から「手伝ってこい!」と言われ、様々な映画に関わった。その場合の多くは事前に放送権を購入(先買いで先方の映画制作費に充当)、テレビ宣伝面での協力だった。


 その頃は、本当に多くの周りの方から期待もされ、それに応えようとした。フジテレビの視聴率が良いことが背景にもあったが、イズムとしては「面白いことを一緒に出来る」会社であったように思われていたと思う。


 ぼくは『スワロウテイル』(1996)製作のため、フジテレビを1995年に出る(ポニーキャニオンへ出向)ことになる。12年間、民放視聴率3冠王を続け、1993年に途切れた翌年である。


 1997年、新宿区河田町から港区台場に本社移転。8月にフジ・メディア・ホールディングスとして株式上場。


 そこから10数年、フジテレビに戻らず、ある時に突然、お台場勤務になった。


 社風というか雰囲気が大きく変化していた。新しいことにチャレンジする機運が落ちていた。過去が良かった……とは安易に言えないが、クリエイティブに関しては昔の「イズム」は消えていた。「自分の会社が中心」で、やたら「コンプライアンス」とかの言葉が飛び交う。上場した影響もあるだろう。


 年齢に関係なく、自由にモノが言えた昔の風土。若者がアイデアを出し、経験者がジャッジ、サポート、フォローする……。ぼくが『私をスキーに連れてって』のプロデューサーをやったのは28歳の時だった。

▲淡路島出身の阿久悠の自伝的長編小説の映画化で、終戦後の淡路島を舞台に、野球を通じて女教師と子どもたちとの心のふれあいと絆を描いた1984年6月23日公開の『瀬戸内少年野球団』。女教師を演じた夏目雅子の遺作となった。監督は篠田正浩、脚本は田村孟が手がけた。撮影の宮川一夫、美術の西岡善信、衣装考証の朝倉摂、音楽の池辺晋一郎ら、スタッフの技が光る映画だ。両親を亡くした級長を演じていたのは、当時12歳の山内圭哉。現在は、NHKの連続テレビ小説「おむすび」での佐野勇斗演じる四ツ木翔也の父親役、映画『ゴールデンカムイ』、舞台『パラサイト』『花と龍』などで活躍中である。伊丹十三、大滝秀治、加藤治子、ちあきなおみ、郷ひろみ、岩下志麻らに加え、渡辺謙が郷ひろみの弟役で映画デビューを果たしている。また、三上博史が、転校生の少女(佐倉しおり)の兄役で出演している。製作発表には、篠田監督、夏目、佐倉、岩下、阿久らが出席した。山内少年の顔も見える。

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