自身の実体験をベースにした独特の世界観を持つ作風が〝星野節〟とも称された作詞家・星野哲郎。2025年は生誕100年、没後15年に当たる。自身が生み出した歌詞を星野は「演歌」と称さず、遠くにありて歌う〝遠歌〟、海をテーマにした〝塩歌〟、人との出会いを歌う〝縁歌〟、人を励ます〝援歌〟などと称していたという。これらをまとめて〝星野えん歌〟と表現される。人を楽しくさせ、前向きな気持ちにさせるような歌を書いていこうという思いが強く、星野作品に〝怨歌〟はない。歌謡界では、北島三郎をはじめ、水前寺清子、都はるみなど、デビュー前から関わってきた歌手も多い。忌日の11月15日は「紙舟忌」と命名される。これは星野が生前「流行(はやり)歌は水に浮かべるとすぐに沈んでゆく紙の舟に似てはかないもの」と語っていたことに由来する。この言葉からは星野が生涯を流行(はやり)歌の作家として生きた矜持のようなものが伝わってくる。1985年には星野の故郷・周防大島に北島三郎が歌った「なみだ船」の歌碑が建立され、2007年には周防大島町に町営の「星野哲郎記念館」が設立されている。今回の特集では、約20年在籍していたクラウン専属作詞家時代の作品を核に、作詞家・星野哲郎の軌跡をたどってみる。
企画協力&画像提供=日本クラウン株式会社
今どきは壁紙というと、建物の内装に用いられるクロスではなく、スマホやパソコンの背景画像を連想する人が多いかもしれない。では、音楽にも壁紙があると言ったらどうだろう。ピンと来る人はあまりいないと思う。
音楽的壁紙。ぼくはこの言葉を村上春樹の短篇小説『ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles』(『一人称単数』収録)を読んで知った。
音楽的壁紙とはこういうことである。村上春樹自身が投影されていると思われる主人公の思春期は、ラジオをつければビートルズがかかっている時代だった。だからといって、熱心なビートルズのファンだったわけではなく、当時は「意識をすらすらと通過していく流行りの音楽」だったというのである。こんな一節がある。
「そう、ビートルズの音楽は僕らの周囲を隈無く取り囲んでいたのだ。まるで綿密に貼られた壁紙のように。」
巧い表現だなあと思う。同時に、ぼくにとっての音楽的壁紙は何だろうかと考えた。
いや、考えるまでもない。ぼくの周りを取り囲んでいた壁紙は歌謡曲だった。歌謡曲を正確に定義するのは難しいが、「演歌からポップスまで含んだ日本語で歌われる大衆音楽」くらいの解釈でいいと思う。ぼくはこうした歌謡曲がテレビやラジオで、あるいは街中で流れる時代に育った。しかし、歌謡曲のレコードを買ったことはほとんどない。