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わが昭和歌謡はドーナツ盤
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今年4月、84歳で逝ったいぶし銀のような名バイプレーヤー、佐川満男は「今は幸せかい」を大ヒットさせる前はロカビリー歌手だった
佐川満男「今は幸せかい」…
中尾ミエ、伊東ゆかりと〝スパーク3人娘〟を結成し、1960年代に「逢いたくて逢いたくて」「夢は夜ひらく」などヒット曲を連発し、清潔なお色気で男性のハートを撃ち抜いた 園 まり「何も云わないで」
園まり「何も云わないで」…
奇才・角川春樹の映画進出とともに誕生した角川3人娘、薬師丸ひろ子、渡辺典子、原田知世。中でもユーミン作詞作曲「時をかける少女」歌う可憐な原田知世が忘れられない
原田知世「時をかける少女」…
もし「こんにちは赤ちゃん」を歌わなかったら、梓みちよは「二人でお酒を」でカムバックできなかったのではないか
梓みちよ「二人でお酒を」…
洋楽のリズムと日本のメロディを合体させ、1967年日本レコード大賞に輝きGSブームを牽引した日本歌謡史に燦然と輝く大ヒット曲 ジャッキー吉川とブルー・コメッツ「ブルー・シャトウ」
GSブームを牽引した大ヒット曲…
80年代のアイドル全盛のなかで、トップ・アイドルに躍り出た菊池桃子の「もう逢えないかもしれない」は、シティ・ポップブームの再来で注目されている林哲司によるプロデュース
デビュー40周年を迎え、益々輝く菊池桃子…
夜明けのコーヒー、二人で飲もう…夏が来ると思い出すピンキーとキラーズ「恋の季節」を歌唱した今陽子は16歳だった
作詞・岩谷時子、作曲・いずみたくの名曲…
ちあきなおみ版が複数のCMに起用されスタンダード・ナンバーとして人々の耳なじみとなった昭和34年リリースのオリジナル盤 水原 弘「黄昏のビギン」
永六輔と中村八大の「六・八コンビ」による〝黒い〟シリーズ第2弾…
世界的ヒット曲「アイ ライク ショパン」をユーミンの閃きで、小林麻美がリリースした「雨音はショパンの調べ」は、3回しか人前で歌われなかった
ユーミンの「麻美ちゃんに歌わせたい」という天才的な閃き…
芦川いづみが新境地を開いた同名映画もある、哀愁の和製ラテン曲「硝子のジョニー」を聴きながら、アイ・ジョージの浪々流転の人生を想う
日本人歌手として初めてカーネギーホールで公演!…
久保田早紀の「異邦人」と並び、イントロの出だしからこの曲とわかる日本の歌謡ポップス史上に名を刻む阿木燿子作詞、筒美京平作曲・編曲の1979年度日本レコード大賞受賞曲 ジュディ・オング「魅せられて」
1979年度日本レコード大賞受賞曲…
明石家さんま&大竹しのぶ初共演の人気ドラマ「男女7人夏物語」の主題歌「CHA-CHA-CHA」は軽快なノリでまさかの大ヒット、彗星のごとくあらわれた石井明美のデビュー曲だった!
「男女7人夏物語」の主題歌…
三浦友和&山口百恵の二人を結んだ楽曲?! 松崎しげるが高らかに謳いあげるCMソングだった「愛のメモリー」の数奇な運命
「愛の微笑み」から改題された…
〝日本一の美少年〟と謳われ、昭和青春歌謡四天王の一人に数えられるアイドルの昭和38年のデビュー曲 三田明「美しい十代」
写真家・秋山庄太郎は日本一の美少年と絶賛した!…
70年代を代表するデュオ、チェリッシュの「白いギター」を作詞した林春生は、国民的アニメ「サザエさん」のテーマ曲も作詞していた
ヒット曲の多い夫婦デュオ…
パッパッパヤッパーのスキャットが忘れられない、大人の女の意味深な詞とフィンガーアクションで大ヒットした、金井克子「他人の関係」
フィンガーアクションで大ヒット…
阿木燿子作詞、宇崎竜童作曲の名曲を得て、自身初となるオリコンシングルチャートベスト10入りを果たしミュージシャンとしての株を上げた 研ナオコ「愚図」
ミュージシャンという肩書が似合うようになった…
松田聖子、田原俊彦らアイドル全盛期の昭和56年、西城秀樹の〝妹〟河合奈保子は、「スマイル・フォー・ミー」でコルセットを装着して紅白歌合戦に初出場した
アイドル全盛期のスター…
山本リンダの「こまっちゃうナ」から「どうにもとまらない」波乱の人生を振り返ると昭和歌謡が見えてくる
遠藤実のレコード会社を救ったヒット曲…
蜷川幸雄演出の名舞台『近松心中物語』で太地喜和子と平幹二朗の道行を美しく、ドラマティックに盛り上げた名曲 森進一「それは恋」
1979年2月~3月、舞台『近松心中物語』初演の主題歌…
トヨタのマークⅡでドライブしながら何度も聴いた、稲垣潤一「ドラマティック・レイン」は音楽プロデューサー・秋元康の出世作だった
「ハコバン」から28歳でデビュー…
下町の太陽、庶民派女優といわれながら都会の大人の女になった倍賞千恵子の大ヒット曲「さよならはダンスの後に」
150万枚のミリオンセラーを記録…
「顔が小さくて、背が高くて、脚が長い。まったく勝ち目がない」と盟友・舟木一夫に言わしめた歌謡界〝御三家〟のハンサム・ガイ 西郷輝彦「星のフラメンコ」
御三家のハンサム・ガイ…
「しあわせになりたいなぁ」と呟くように歌唱する、国民的演歌歌手・都はるみの「しあわせ岬」を聴きながら彼女自身の有為転変を想う
「はるみ節」で、レコード大賞3冠受賞…
六角精児の弾き語りで蘇った、昭和ポップス界のレジェンド、ムッシュかまやつの「どうにかなるさ」
田邊昭知が結成した「ザ・スパイダース」のメンバー…
日活青春コンビが歌い大ヒットした〝ベンチャーズ歌謡〟第1作、和泉雅子&山内賢「二人の銀座」
ベンチャーズ歌謡の大ブームを巻き起こした…
庄野真代の「飛んでイスタンブール」がリリースされたのは成田空港が開港した1978年、みんなが海外旅行の夢を抱いた
未知の都市「イスタンブール」に憧れて…
『ブギウギ』の淡谷のり子のドレスアップと重なる燕尾服、直立不動で歌う「名月赤城山」の東海林太郎には流行歌手の矜持があった
東映映画『国定忠治』の名文句が忘れられない…
70年代前半、愛くるしいスマイルで一世を風靡した国民的アイドル〝ソニーの白雪姫〟天地真理「想い出のセレナーデ」
〝真理ちゃんシリーズ〟で国民的アイドルに…
伝説の音楽プロデューサー、酒井政利に見込まれた岸田智史は「きみの朝」で大ブレイクし、橋田壽賀子ドラマ「渡鬼」やミュージカルもこなした、忘れられない昭和のフォークシンガー
ドラマ「愛と喝采と」の挿入歌…
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