昭和の風景 昭和の町

文=川本三郎

アルバイト

「アルバイト」は戦後にはじまった

 ~生活難大学生の学費と生活費稼ぎ~

 

戦後、朝日新聞連載の小説『青い山脈』が映画化され大ブームを起こし 〝百万人の作家〟といわれた流行作家、石坂洋次郎の小説にも学生たちのアルバイトが多く描かれている。

『陽のあたる坂道』の女子大生は家庭教師をやり『雨の中に消えて』の大学生カップルは、選挙カーに乗り込み演説までしている。

新聞社や出版社で、お茶くみ、ガリ版印刷など雑用をこなす給仕のようなバイトもあった。

家庭教師は時給も桁外れに高い、効率のいいバイトだった。 学費や生活費のために、アルバイトは学生にとって大切な収入源だったのだ。

また、職に就くことなく、芝居や音楽や文筆で身を立てようとする若者にとっても、バイトは必要だった。

平成、令和と時代が移っても、アルバイトをする学生は多いが、 その目的は、小遣い稼ぎが主流のようである

 学業よりバイトに忙しい井上ひさしの学生時代

 

学生のアルバイトがさかんになっ のは、戦後の混乱期から。生活難が大 学生を襲い、多くの学生が学費稼ぎ、生活費稼ぎのためにアルバイトをせざるを得なかった。

そのアルバイトもなかなかいいものがなくキャンデー売りや紙芝居までさまざまあった。

昭和九年生まれの作家、劇作家の井 上ひさしは、山形県から東京に出て、上智大学の学生になった時、実にさまざまなアルバイトをしている。

学生時代を描いた小説『モッキンポット師の後始末』によると、大学に入り、寮生活が始まった「ぼく」は、 生活のために、大学の授業より、アルバイトのほうが忙しくなる。といっ もいまと違って、アルバイトの口が多いわけではない。仕事を探すのにひと苦労する。

「ぼく」がまず、するのは、草野球の「臨時要員」。ある日、神宮外苑に散歩に出かけた軟式野球場でキャッチボールをするおじさんたちを眺めていた。そ こにボールがころがってきた。ボールを拾い、おじさんに投げ返した。「ぼく」 は中学と高校で野球をしていたので、 すごい球を投げた。おじさんは驚いて 言った。自分たちは寿司屋のチームだが、ピッチャーがまだ来ないで困っている。代わりに投げてくれないか。もちろん金は払う。

かくて草野球での「ぼく」のバイトが始まった。

「野球臨時要員業はうまく行った。 思った通り重宝がられた。四月は三十八試合に出場、二万円以上稼いだ。学生服を新調した。靴底も張り替えた。 五月は四十二試合に出場、商売道具のグラヴを買った。映画を十数本見た」。

草野球のアルバイトとは面白い。 もっとも梅雨に入ると、野球の試合が少なくなってしまうのだが。

…… 続きはVol.40をご覧ください。

昭和23年の夏、海の家でアイスキャ ンデー売りのアルバイトをする女学 生たち。日給は100円だったという。 当時慶應義塾大学文科系の1年分 の授業料は6,000円(早稲田大学は2,800円)、高級パーラーのアイス クリームは25円、山手線初乗り運賃は3円、小学校教員の初任給が 2,000円という時代だった。

かわもと さぶろう
評論家(映画・文学・都市)。1944年生まれ。東京大学法学部卒業。「週刊朝日」「朝日ジャー ナル」を経てフリーの文筆家となりさまざまなジャンルでの新聞、雑誌で連載を持つ。『大正幻影』 (サントリー学芸賞)、『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎 日出版文化賞、桑原武夫学芸賞)、『映画の昭和雑貨店』(全5冊)『映画を見ればわかること』 『向田邦子と昭和の東京』『それぞれの東京 昭和の町に生きた作家たち』『銀幕の銀座 懐かし の風景とスターたち』『小説を、映画を鉄道が走る』(交通図書賞)『白秋望景』(伊藤整文学賞) 『いまむかし東京下町歩き』『成瀬巳喜男 映画の面影』『映画の戦後』『サスペンス映画ここにあ り』『日本すみずみ紀行』『東京抒情』『ひとり居の記』『物語の向こうに時代が見える』『「男はつ らいよ」を旅する』『老いの荷風』など多数の著書がある。

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