昭和の風景 昭和の町

文=川本三郎

風呂敷

風呂敷は暮しの味方だった

 

 ~日本人の知恵が生んだ逸品~

 

今、風呂敷が一部の人たちの間で結構見直されていると聞く。

若い世代、さらに外国の人たちからも 〝お洒落〟と評価されるといい気分になる。

昭和では、重宝な日用品だとされた風呂敷が、今は、ファッションというくくりで語られている。

衣類はもちろんのこと、本や酒瓶やすいかまで、持ち歩くことが楽しくなる包み方が提案されていたりもする。 包むものの大小、形状にとらわれることなく 変幻自在に包むことができる一枚の布。

すばらしく便利な日用品でありながら包む、ほどくという日本的な美のシーンを見せる風呂敷。

美しい日本の情景の中で欠かせない小道具だった風呂敷の昭和の景色を、今一度思い出してみよう。

日常生活に欠かせない重宝な風呂敷

 
    バッグの普及で近年はあまり見かけなくなってしまったが、昭和の暮しには、風呂敷が欠かせなかった。

 たった一枚の布でさまざまなものを包める。本、書類、酒瓶、教科書、弁当、銭湯に行く時の洗面道具、天地無用のケーキや人形、寿司の折詰、着物、 結婚式の引出物……挙げてゆと切りがない。

    軽くて折り畳みの出来る風呂敷は持ち運びも便利だし、使い終ったら元の 一枚の布に戻せる。日本人の暮しの知恵だった。

    昭和二十七年公開の家庭劇の秀作、成瀬巳喜男監督の『おかあさん』には、さまざまな風呂敷が描かれていて、昭和のこの時代まで風呂敷が庶民の暮し に欠かせないものだったことがよくわかる。

    一家は東京の蒲田あたりでクリーニング店を営んでいる。母親は田中絹代、父親は三島雅夫。長男の片山明彦は肺 病んで療養所に入っている。ある時、母親の顔が見たくて家に戻ってくる。 庭先に恥しそうに現れた長男は手に大きな風呂敷包みを持っている。入院中 の服や日用品を入れているらしい。

    父親が病死する。通いの職人、加東大介が手助けに来る。彼は小さな風呂敷を持っている。昼の弁当が入っているのだろう。

     ある時、客の帽子を染めるのに失敗して弁償することになる。当座のお金を作るため、母親は娘の着物などを質に入れることにする。箪笥から着物を出して風呂敷で包む。

     日常生活の随所で風呂敷が使われている。

…… 続きはVol.41をご覧ください。

昔は給食がなく、子供たちはみんな弁当を風呂敷に包んで持ってき ていた。まさに映画『二十四の瞳』の子供たちと一緒だ。そして本 文にも紹介された作家・井伏鱒二の子供のころと同じように、風呂敷を右肩から左脇に背負って学校に通っていたことがわかる。 写真提供:福島県浪江町

かわもと さぶろう
評論家(映画・文学・都市)。1944年生まれ。東京大学法学部卒業。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」を経てフリーの文筆家となりさまざまなジャンルでの新聞、雑誌で連載を持つ。『大正幻影』 (サントリー学芸賞)、『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎 日出版文化賞、桑原武夫学芸賞)、『映画の昭和雑貨店』(全5冊)『映画を見ればわかること』 『向田邦子と昭和の東京』『それぞれの東京 昭和の町に生きた作家たち』『銀幕の銀座 懐かしの風景とスターたち』『小説を、映画を鉄道が走る』(交通図書賞)『白秋望景』(伊藤整文学賞) 『いまむかし東京下町歩き』『成瀬巳喜男 映画の面影』『映画の戦後』『サスペンス映画ここにあ り』『日本すみずみ紀行』『東京抒情』『ひとり居の記』『物語の向こうに時代が見える』『「男はつらいよ」を旅する』『老いの荷風』など多数の著書がある。

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