昭和の風景 昭和の町

文=川本三郎

昭和の風景 昭和の町映画にキスシーン

映画にキスシーンがあらわれた頃

 

 ~日本人にとって刺激的だった昭和の接吻~

 

かつて、映画『愛染かつら』などで純情派の国民的女優と言われた田中絹代が 昭和24年に日米親善大使として渡米し、翌年帰国時のパレードで オープンカーからサングラス姿で投げキスを連発し、「ハロー」と挨拶し多くのメディアから〝アメリカかぶれ〟と叩かれたことを聞くと、やはり、日本人には挨拶としてのキスのイメージがなかったのだと思える。

昭和35年公開の石原慎太郎の原作を川島雄三が監督した『接吻泥棒』でも 公衆の面前でのキスは恥ずべき行為とみなされているが 接吻シーンは、やたらと多かったような気がする。

ひところよく見かけた電車の中や街中で平然とキスをする若いカップルが 以前より影を潜めたのは、草食系男子の台頭のせいだろうか。

人々から好意的に受け取られているキスがある。 スポーツ選手たちの優勝トロフィーや金メダルへのキスである。 若い世代の日本人にとっては、キスは秘めたるものでも性行為でもなく、 欧米同様に、日常の挨拶のひとつという時代になったのだろうか。

 

人前でのキスは 日本人には不似合

 
 
  最近は、幸いなことに目立たなくなったが、いっとき電車のなかで若いカップルが平気でキスをするのに、うんざりしたものだった。

 「慎ましさ」を徳とする日本人には、人前でキスをするなど似合わない。キスは西洋人にまかせておけばいい。

作家の丸谷才一に「キスの研究」いう面白いエッセイがある(『男もの 女もの』文藝春秋、一九九八年)。

  丸谷先生も、電車の中でキスをする 若者たちを見て辟易する。

「ああいふのを見ると、わたしはどうも、日本人においてはキスの伝統がないなあと憂いたくなるのですね」

  その通り。人前でキスをしている若いカップルなど見ると「みっともないからやめろよ」と怒りたくなる。

  西洋人は、他人どうしでも平常の挨拶としてよくキスをする。だから恋人どうしのキスも不自然ではない。しかし、日本の場合は違う。いわばキスの 文化というものがない。

  丸谷才一は言う。「われわれのキスは、単にエロティックなものだけであって、孤立している」。

  日本では、閨房のようなプライベートな空間での性行為のひとつとしての「口吸い」はあったが、西洋のように挨拶がわりに人前でキスをするような 文化、習慣はなかった。むしろ、プライベートな行為だから人前ではしてはならないものだった。
 
 
……続きはVol.43をご覧ください。 

ロマン・ロランの小説『ピエールとリュイ ス』を水木洋子が脚色し、今井正が監 督をした昭和25年公開の『また逢う日 まで』の久我美子と岡田英次。窓ガラ ス越しの接吻シーンは強烈なイメージ で観る人の心を揺さぶり、日本映画史 上屈指の恋愛映画と評価されている。 キネマ旬報、毎日映画コンクール、ブ ルーリボン賞の作品賞に輝き、今井正 はブルーリボン賞監督賞も受賞。岡田 英次は日本人には珍しく彫の深い顔立 ちからか、和製ジャン・マレーとも呼ば れていた。杉村春子、滝沢修も出演。

かわもと さぶろう
評論家(映画・文学・都市)。1944年生まれ。東京大学法学部卒業。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」を経てフリーの文筆家となりさまざまなジャンルでの新聞、雑誌で連載を持つ。『大正幻影』 (サントリー学芸賞)、『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎 日出版文化賞、桑原武夫学芸賞)、『映画の昭和雑貨店』(全5冊)『映画を見ればわかること』 『向田邦子と昭和の東京』『それぞれの東京 昭和の町に生きた作家たち』『銀幕の銀座 懐かしの風景とスターたち』『小説を、映画を鉄道が走る』(交通図書賞)『白秋望景』(伊藤整文学賞) 『いまむかし東京下町歩き』『成瀬巳喜男 映画の面影』『映画の戦後』『サスペンス映画ここにあ り』『日本すみずみ紀行』『東京抒情』『ひとり居の記』『物語の向こうに時代が見える』『「男はつらいよ」を旅する』『老いの荷風』など多数の著書がある。

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