昭和の風景 昭和の町

文=川本三郎

紳士服はオーダーメイド

が普通だった

 

 

 ~社会に出る男の大切な儀式~

 

オーダーメイドの紳士服テーラーといえば、 銀座のような大都会にある店をイメージするが、 実は、地方の町にも、ごく普通にテーラーはあった。 夫婦2人で営んでいるような小さなテーラーだ。
背広をあつらえるのは、オーダーメイドが 田舎町でも、ごく当たり前だったのだろう。
男にとって背広を作るのは、おそらく一生に一度の大イベント。 ボーナスが出たら背広を作ろう、と意気込む若いサラリーマンも多かった。
身体の寸法を測られ、生地を選び、自分だけの一着が仕立てられる。 背広を着るのは大人の証、社会に出る儀式だった。
背広という言葉も死語になりつつあり、 就職活動のための〝リクルートスーツ〟を吊るしで買う今、 紳士の装いという価値観も〝今は昔〟なのだろうか。

社会人になる最初の支度はテーラーで背広を仕立てること

 

 既製服全盛の時代になってまったが、昭和三十年代らいまでは、たいていの町には男性用の「テーラー」「洋服店」があり、そこで服を仕立ててもらうのが普通だった。紳士服はオー ダーメイドの時代だった。

 値段が張るからそういつも作れるわけではない。学校を卒業して社会人になった時のような特別な時にあつらえる。それを大事に着る。いわば一生ものだった。

 小津安二郎監督の昭和三十一年の作品『早春』では池部良演じる主人公は丸ビルのなかにある耐火煉瓦会社に勤めるサラリーマン。ある時、同僚(増田順二)が病気になり、家に見舞いに行く。

  同僚は寝ながら、元気だった日々を思い出し、丸ビルでの会社員生活を懐しむ。

「秋田県の中学生だった時、修学旅行で東京に出て来て、はじめて丸ビルを見た時のことは忘れられない。夕方、灯りがともってまるで外国のようだった。丸ビ ルは憧れだった。そこの会社に就職が決まった時は本当に うれしかった」。
  そのあと彼は、こう続ける。 「うれしくてすぐに神田に洋 服を作りにいった」。

  憧れの丸ビルのなかにある 会社に就職が決まる。晴れがましい気持で、まずすることは社会人の証しである洋服を作ることだった。「テーラー」 が大事にされていた時代だっ たことが分かる。
 

…… 続きはVol.39をご覧ください。

老舗テーラー、銀座山形屋の歴史は明治40年に始 まる。終戦後には、来日した欧米人の間で山形屋の テーラー技術は高く評価され、その仕立ての腕が口 コミで広がった。昭和41年、ザ・ビートルズの日本 公演の折には、スーツ愛用者のポール・マッカート ニーが山形屋の仕立てを熱望し、デザインと仕立て を担当していた宮川健二が滞在ホテルにかけつけ採 寸を行い、目の前でデッサン画(上)を描いてみせる と、宮川のセンスを見抜いたポールは、多くの注文を つけることなく全て一任したという。日本を離れる日 の朝、スーツを受け取ったポールは喜び勇んで即座 に着替え、そのまま飛行機に乗り込んだ。 写真提供:株式会社銀座山形屋

岡山市にある「服匠 深井」は、現在の店 主・深井豊久の祖父豊次が、神戸で洋服 仕立ての修業を積んだ後、大正3年に岡山 初のフルオーダーメイド紳士服専門店「深 井洋服店」を創業したことに始まる。フル オーダーメイドの世界では、根底にある思想 により仕事の精度に違いが如実に出ること を、祖父、父・南から学んだ三代目。型紙 作り、裁断にも精度をあげることに日々努め ている。 写真提供:服匠 深井

かわもと さぶろう
評論家(映画・文学・都市)。1944年生まれ。東京大学法学部卒業。「週刊朝日」「朝日ジャー ナル」を経てフリーの文筆家となりさまざまなジャンルでの新聞、雑誌で連載を持つ。『大正幻影』 (サントリー学芸賞)、『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎 日出版文化賞、桑原武夫学芸賞)、『映画の昭和雑貨店』(全5冊)『映画を見ればわかること』 『向田邦子と昭和の東京』『それぞれの東京 昭和の町に生きた作家たち』『銀幕の銀座 懐かし の風景とスターたち』『小説を、映画を鉄道が走る』(交通図書賞)『白秋望景』(伊藤整文学賞) 『いまむかし東京下町歩き』『成瀬巳喜男 映画の面影』『映画の戦後』『サスペンス映画ここにあ り』『日本すみずみ紀行』『東京抒情』『ひとり居の記』『物語の向こうに時代が見える』『「男はつ らいよ」を旅する』『老いの荷風』など多数の著書がある。

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