22.03.29 update

アドバルーンは昭和に生まれた最先端の広告手段だった

高層ビルが立ち並ぶ以前の都心の下町、たいていの家屋の2階には木造の物干し場があり、そこから空に浮かぶアドバルーンがよく見えた。百貨店や店の開店案内だったり、新作映画封切の告知だったりと、都会の空ならではの景色が、昭和には存在した。最近では、郊外の住宅展示場の案内などで時折、アドバルーンを見ることがあるが、都会の空が狭くなり、アドバルーンの活躍の場も変わったのかもしれない。
アドバルーンには、空というキャンバスが必要なのである。


空にゃ今日もアドバルーン

~都心の空に浮かんだ鮮やかな広告気球~

文=川本三郎

昭和の風景 昭和の町 2017年4月1日号より


夜のネオン昼のアドバルーン

 昭和に活躍した洋画家、鈴木信太郎(一八九五~一九八七)に、「東京の空」(昭和六年)という絵がある。
 関東大震災のあと復興してゆく銀座の新しい都市風景を描いている作品だが、建物よりも何よりも、この絵でいちばん目をひくのは銀座の空に浮かんだアドバルーン。
「東京の空」とあるように、絵の半分近くを空が占める。そして、その空には大きなアドバルーンが五つも浮かんでいる。昭和のはじめの銀座には、こんなにたくさんのアドバルーンが浮かんでいたとは。

 現在、東京の空にはもうアドバルーンはほとんど見られない。高層ビルが増えたために、広告気球の意味がなくなってしまった。
 気球は、明治時代に偵察用として軍隊で使われていた。それが次第に広告、宣伝に使われるようになった。
 大正はじめに、化粧品会社の中山太陽堂や福助足袋が使ったのが早い例だという。
 当初は「広告気球」といっていたが、昭和になってアドバルーンと呼ばれるようになった。advertisement (広告)のad とballoon (気球) を付けた和製英語である。
 震災後、東京に鉄筋コンクリートのビルが建ち並び、町が自動車や地下鉄の走るモダン都市に変貌してゆく時代に、夜のネオンと並んで昼のアドバルーンは、新しい広告手段として人気を呼んだ。
 画家の鈴木信太郎は、そのアドバルーンに興味を覚え「東京の空」を描いた。
 都市風俗の変化に敏感だった作家、永井荷風も、昭和六年(一九三一)に発表した小説『つゆのあとさき』で銀座の空に浮かぶアドバルーンをとらえている。
 この小説の主人公は、震災後の東京に急増したカフェで働く、君江という「女給」。
 冒頭、君江は市ヶ谷あたりにある家から、銀座のカフェに出勤する。数寄屋橋を渡って銀座に入る。
「数寄屋橋のたもとへ来かかると、朝日新聞社を始め、おちこちの高い屋根の上から広告の軽気球があがっているので、立留(たちどま)る気もなく立留って空を見上げた」
「広告の軽気球」はいうまでもなく、アドバルーンのこと。ちなみに、この時代、朝日新聞社の建物(昭和二年竣工)は数寄屋橋の横にあった。現在、マリオンのあるところ。当時としてはモダンな建物で、鈴木信太郎はこの五階から「東京の空」を描いた。
 アドバルーンは大体、ビルの四、五階の高さに浮かんだ。

【写真】昭和6年4月23日の「都新聞」の紙面に、「都会新風景 空の広告風船玉」という見出しの記事が出た。アドバルーンの紹介記事で、「ビルデングやデパートの屋根に出る昼間の月」とも記述されている。画家の鈴木信太郎が「東京の空(数寄屋橋付近)」を完成させたのは昭和6年8月だったというから、新聞に記事が出た4ヶ月後のことである。アドバルーンの噂をきいて、二科展出品の絵のモチーフに決めたという。画像提供:一般財団法人 そごう美術館

二・二六事件の空にも浮かんだアドバルーン

 アドバルーンの存在が一躍、有名になったのは、昭和十一年にヒットした歌「あゝそれなのに」(星野貞志作詞、古賀政男作曲)によってだろう。
 日活映画『うちの女房にゃ髭がある』(昭和十一年、千葉泰樹監督、杉狂児、星玲子主演)の主題歌。
 会社員の夫が出勤したあと、妻が家でひとり寂しく夫の帰りを待っている、その寂しい気持を歌った曲で、歌いだしに「空にゃ今日もアドバルーン」とある。
 美ち奴(みちやっこ)という歌手が歌って大ヒット。「あゝそれなのに」が流行語になると同時に、アドバルーンが新しい都会風景として広く世に知られるようになった。
 ちなみに、この曲の作詞者「星野貞志」は、サトウハチローのこと。映画のなかで妻を演じた星玲子の亭主をもじった。


 

1 2

映画は死なず

新着記事

  • 2024.12.05
    雨の日に聴きたくなる「レイニーブルー」を歌った徳永...

    徳永英明「レイニーブルー」

  • 2024.12.03
    きわどい熟年女性の性愛表現から母の優しさまでフラン...

    『山逢いのホテルで』見どころ

  • 2024.12.03
    東京ステーションギャラリー「生誕120年 宮脇綾子...

    応募〆切: 1月20日(月)

  • 2024.12.02
    橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦・三田明の青春歌謡四天王...

    松竹青春歌謡映画のヒロイン 尾崎奈々

  • 2024.12.02
    大注目のボートレーサーが集結した「2025年 BO...

    応募〆切:12月20日(金)

  • 2024.11.28
    第5回【東宝映画スタア☆パレード】酒井和歌子&内藤...

    文=高田雅彦

  • 2024.11.28
    クリスタルキングが歌唱した「大都会」の唯一無二のハ...

    クリスタルキング「大都会」

  • 2024.11.27
    第55回【萩原朔美 スマホ散歩】いまどきのカバン考...

    見事な自己表現!

  • 2024.11.25
    クリスマス・イブに手塚治虫の歴史的名作が蘇る!映画...

    応募〆切:12月15日(日)

  • 2024.11.21
    「星影のワルツ」「北国の春」という2つの大ヒット曲...

    千昌夫「夕焼け雲」

特集 special feature 

わだばゴッホになる ! 板画家・棟方志功の  「芸業」

特集 わだばゴッホになる ! 板画家・棟方志功の 「芸業...

棟方志功の誤解 文=榎本了壱

VIVA! CINEMA 愛すべき映画人たちの大いなる遺産

特集 VIVA! CINEMA 愛すべき映画人たちの大いな...

「逝ける映画人を偲んで2021-2022」文=米谷紳之介

放浪の画家「山下 清の世界」を今。

特集 放浪の画家「山下 清の世界」を今。

「放浪の虫」の因って来たるところ 文=大竹昭子

「名匠・小津安二郎」の生誕120年、没後60年に想う

特集 「名匠・小津安二郎」の生誕120年、没後60年に想う

「いい顔」と「いい顔」が醸す小津映画の後味 文=米谷紳之介

人はなぜ「佐伯祐三」に惹かれるのか

特集 人はなぜ「佐伯祐三」に惹かれるのか

わが母とともに、祐三のパリへ  文=太田治子

ユーミン、半世紀の音楽旅

特集 ユーミン、半世紀の音楽旅

いつもユーミンが流れていた 文=有吉玉青

没後80年、「詩人・萩原朔太郎」を吟遊す 全国縦断、展覧会「萩原朔太郎大全」の旅 

特集 没後80年、「詩人・萩原朔太郎」を吟遊す 全国縦断、...

言葉の素顔とは?「萩原朔太郎大全」の試み。文=萩原朔美

喜劇の人 森繁久彌

特集 喜劇の人 森繁久彌

戦後昭和を元気にした<社長シリーズ>と<駅前シリーズ>

映画俳優 三船敏郎

特集 映画俳優 三船敏郎

戦後映画最大のスター〝世界のミフネ〟

「昭和歌謡アルバム」~プロマイドから流れくる思い出の流行歌 

昭和歌謡 「昭和歌謡アルバム」~プロマイドから流れくる思い出の...

第一弾 天地真理、安達明、久保浩、美樹克彦、あべ静江

故・大林宣彦が書き遺した、『二十四の瞳』の映画監督・木下惠介のこと

特集 故・大林宣彦が書き遺した、『二十四の瞳』の映画監督・...

「つつましく生きる庶民の情感」を映像にした49作品

仲代達矢を映画俳優として確立させた、名匠・小林正樹監督の信念

特集 仲代達矢を映画俳優として確立させた、名匠・小林正樹監...

「人間の條件」「怪談」「切腹」等全22作の根幹とは

挑戦し続ける劇団四季

特集 挑戦し続ける劇団四季

時代を先取りする日本エンタテインメント界のトップランナー

御存知! 東映時代劇

特集 御存知! 東映時代劇

みんなが拍手を送った勧善懲悪劇 

寅さんがいる風景

特集 寅さんがいる風景

やっぱり庶民のヒーローが懐かしい

アート界のレジェンド 横尾忠則の仕事

特集 アート界のレジェンド 横尾忠則の仕事

60年以上にわたる創造の全貌

東京日本橋浜町 明治座

特集 東京日本橋浜町 明治座

江戸薫る 芝居小屋の風情を今に

「芸術座」という血統

特集 「芸術座」という血統

シアタークリエへ

「花椿」の贈り物

特集 「花椿」の贈り物

リッチにスマートに、そしてモダンに

俳優たちの聖地「帝国劇場」

特集 俳優たちの聖地「帝国劇場」

演劇史に残る数々の名作生んだ百年のロマン 文=山川静夫

秋山庄太郎 魅せられし「役者」の貌

特集 秋山庄太郎 魅せられし「役者」の貌

役柄と素顔のはざまで

秋山庄太郎ポートレートの美学

特集 秋山庄太郎ポートレートの美学

美しきをより美しく

久世光彦のテレビ

特集 久世光彦のテレビ

昭和の匂いを愛し、 テレビと遊んだ男

加山雄三80歳、未だ青春

特集 加山雄三80歳、未だ青春

4年前、初めて人生を激白した若大将

昭和は遠くなりにけり

特集 昭和は遠くなりにけり

北島寛の写真で蘇る団塊世代の子どもたち

西城秀樹 青春のアルバム

特集 西城秀樹 青春のアルバム

スタジアムが似合う男とともに過ごした時間

「舟木一夫」という青春

特集 「舟木一夫」という青春

「高校三年生」から 55年目の「大石内蔵助」へ

川喜多長政 &かしこ映画の青春

特集 川喜多長政 &かしこ映画の青春

国際的映画人のたたずまい

ある夫婦の肖像、新藤兼人と乙羽信子

特集 ある夫婦の肖像、新藤兼人と乙羽信子

監督と女優の二人三脚の映画人生

中原淳一的なる「美」の深遠

特集 中原淳一的なる「美」の深遠

昭和の少女たちを憧れさせた中原淳一の世界

向田邦子の散歩道

特集 向田邦子の散歩道

「昭和の姉」とすごした風景

あの人この人の、生前整理archives

あの人この人の、生前整理archives
読者の声
Social media & sharing icons powered by UltimatelySocial
error: Content is protected !!