2012年7月1日号「街へ出よう」より
大学構内で一般の来場も許されたコンサートや展覧会があり、 観覧できる美術館や博物館があるのをご存知だろうか。さらには、外観を観るだけでも有益な文化財に指定された建築物もある。
それぞれの大学にそれぞれの面白さを発見できる。わが青春の日々よもう一度と、キャンパス散歩はいかがだろう。さらに学生食堂で若き学生たちに混じってのランチも楽しいものだ。
ただし、学食はあくまで学生さんたちの場所だということをお忘れなく。
初夏の大学を歩く
~いまひとたびの青春賛歌~
文・太田和彦
天真爛漫にバカをする藝大生への憧れ
私の大学受験第一希望は東京藝術大学美術学部だったが、二歳年上の兄もそこ一本をめざして二浪し、私と受験年が重なってしまった。父は息子二人が同じ大学の同じ専攻を受けて明暗が分かれたとして、その後の兄弟仲を心配し、私の藝大受験をゆるさなかった。兄もすまなく思ったか、同じ国立大学でデザインを学べる学校をみつけてくれた。わが家は私立大学に通える金はなかった。その年二人とも志望校に合格した。
この父の配慮に今の私はふかく感謝している。今だからわかるが私には藝大受験を突破する力はなかった。兄は二浪して入った念願の大学生活を謳歌し、私は自分の入った大学は不満だったが、「学歴なし」でけっこう、デザイナーになるのが目的だと覚悟を決めていった。
卒業して資生堂宣伝部のデザイナーになり、五、六年すると藝大卒業生が幾人もデザイナーとして入ってきた。優秀なのもいたが使えない者も多く、「お前はそれでも藝大か」と口に出た。意趣返しではない、本人に力がないんだから。デザイナーは気持ちがよいほど実力の世界で学歴は全く通用せず、私の藝大コンプレックスはきれいに消えた。
よい歳になるとまわりに東大出身者もいるようになり「大学は東大です」と聞くとすこし身構えた。そして人間的におもしろい人物は少ないと感じた。東大の同窓生同士は尊大で仲が悪いという噂をよろこぶのは、こちらにコンプレックスがあるからだ。
それがこのたびの原子カムラの大失態で多くの東大学者がいかに卑劣であるかを知った。話題になった「東大話法(欺隔的で傍観者的)には全く納得。東大コンプレックスは完全に解消して、むしろ東大卒と聞くと人間性をひとつ疑ってかからねばと思うようになった(東大を悪し様に書くが税金を使う日本最高学府ゆえに甘受せよ)。
以上、私のつたない学歴コンプレックス解消の弁である。
しかし世の中はおもしろいもので、今の私は藝大美術出身の友達がたいへん多い。藝大生の特徴はずばり「芸術バカ」。東大生のように(悪口言うよ)出世や保身は全く眼中になく、カネにならない芸術に身を捧ぐ。入学すぐの歓迎コンパは一人一芸を強要され、最後は股にビール瓶をはさんで踊る下品な「ヨカチン」の洗礼をうけるのは、自己表現を命とする者が人前で恥をかけなくてどうするという、天晴れな芸術家魂だ。
私は兄が藝大生になったのをよいことに、自分の大学よりも藝大に顔を出し、兄の学友に「オータ弟」と可愛がられた。全く天真爛漫にバカをする藝大生に憧れ、それは今も続き、デザイナー仲間の縁もあって「なにかといえば芸術」の芸術バカに加えてもらっている。