ウイスキーという郷愁

いつか「ダルマ」が飲める大人になってやる

対談:村松友視×宇野亜喜良

SPECIAL FEATURE 2010年6月1日号より


撮影:神ノ川智早
取材協力:サントリーホールディングス株式会社

昭和30年代前半、ウイスキーは高級な酒で、誰もが飲めるものではなかった 。 そこに登場したのが「うまい! 安 い!」を謳ったトリスだった。東京・大阪 ではトリスバーなるものが 続々と誕生し、トリスは日本の洋酒文化の底辺を確実に広げていくこととなった。そして、「 レッド 」「 ホワイト」「角」「 オールド」 と男たちはサントリーのウイスキーと共に青春を過ごした。 昭和40年前後に酒場で出会った村松友視さんと宇野亜喜良さん。「ウイスキーの青春時代」という時間を共有したお二人に今宵、ウイスキーをめぐるあれこれを語っていただいた。 男たちよ! ウイスキーが、お好きでしょ。


右:村松友視さん
左:宇野亜喜良さん
ウイスキーというのは
潔い酒ですね。
飲むことを正当化する理由は無用。
ウイスキーは酒そのものなんです。
アンクルトリスはじめ、
サントリーには
記憶に残るコマーシャル、
広告が多いですね。

ウイスキーをこよなく愛する作家・村松友視さんが、今回の対談のお相手にとリクエストしたのは挿絵画家でありグラフィックデザイナーの宇野亜喜良さん。幾度となく酒場で遭遇しているお二人、村松さんの中には当然宇野さんは酒が強いという印象が植えつけられていた。ところが実は…。

村松   宇野さんとは仕事でお会いする以前に、「NADJA(ナジャ)」(新宿にあるバーで、さまざまなジャンルの文化人が夜毎集まっていた)あたりで宇野さんおみえになってるなという 感じで拝見していました。

宇野   村松さんは「婦人公論」の編集者で寺山修司さんの原稿を取っていらした。

村松   そうです、その挿画が宇野亜喜良さん。確か僕が入社2年目のころですから、 23、4歳のときにお目にかかっています。

宇野   ということは昭和38年か39年あたり。僕が29、30 歳の頃ですね。

村松 当時30歳くらいの人って、たとえばトリスバーなどに行くと、「シロ」(昭和4年に発売され、国産ウイスキー第1号として知られる「サントリーウイスキー白札」つまり「サントリーホワイト」)を飲んでいたんですね。僕らはトリスのハイボールでしたからすごい違いを感じる。いつか、「シロ」というお酒を飲んでみたいと思わせる、遠くから眺めるような世代で6つの違いを感じました。大人を見る感じでした。

宇野  僕はほとんど酒は飲まないんですが結構酒場には出かけていましたね。新宿はよく行きました。先ほどの「NADJA」ね。

村松  「NADJA」のマッチは宇野さんのデザインでした。酒場のマッチをデザインすることになるような人ってすごく呑んべえなのかと思うんですが、そうではなかったんですね。

宇野  実は、酒はほとんど飲めない。

村松  寺山さんも酒がだめで、寺山さんを酒場で見たことはないんですが、 宇野さんは同じ飲めない人でも良くお見かけしました(笑)。

宇野   (笑)そうですね、飲めなくても酒場にだけは通いましたね。だから、いわゆる呑んべえたちとある種同じ感覚で時代を共有することができるんでしょうね。

昭和21年、新生「トリスウイスキー」 が登場、昭和30年代前半にはサントリーウイスキーを出すトリスバーが東京・大阪を中心に続々誕生した。村松さんも、そのトリスバーに通ったおひとりである。

東京に初めてトリスバーがお目見えしたのは昭和25年、場所は池袋だった。やがてトリスやサントリーを冠にしたスタンドバーは、全国で3万5千軒を超えるまでになった。第一次洋酒ブームお始まりである。
トリスウイスキー戦後初の広告が新聞に掲載されたのは昭和24年のこと。写真はは「うまい、やすい」のキャッチフレーズの昭和25年雄広告。
亀甲模様の瓶に黄色いラベルのサントリーウイスキーが発売されたのは昭和12年。その特徴的な瓶の形から愛飲者の間で「角」「角瓶」と親しまれ、いつしか、「サントリー角瓶」が正式名称となる。
サントリーレッドの発売は昭和39年。デルクス角瓶と呼ばれるおなじみの形になるのは翌年のこと。41年にはダブルサイズも発売され、「二倍入って百円安い」のキャッチフレーズで、レッドはサントリーナンバーワンブランドに躍り出た。

村松  僕の学生時代といえば、もっぱらトリスバーなんですが、あれは、酒場の雰囲気よりも、ウイスキーが飲みたいけれどお金がなくてという連中が集まるところで、ハイボール、やがてトリハイっていうようになりますが僕にとってウイスキーはトリス、50 円なんです。シロが150円で、ストレートが40円だったかな。だから 500 円あると10杯飲めるんです。つまみは柿の種と、ピーナッツとイカの燻製くらい。そこに宇野さんがいるわけがないですよね(笑)。

宇野  そうですね、僕はトリスバーには行ったことがないですね。アンクルトリスがトリスを飲んで顔色がだんだん赤くなっていくテレビコマーシャルは印象的でした。

村松  今、ハイボールブームらしく、ハイボールというのを珍しがって味を求めていますが、おいしいハイボールブームと、安いからハイボール、しかもトリスのハイボールしか飲めないんだからまるで違いますね。

宇野  酔いたい。味じゃないんですね。今ハイボールで有名なたとえば「銀座 サンボア」や銀座の新橋寄りの「ロックフィッシュ」などに行く人は、ハイボールの味を求めて行くでしょう。おいしいハイボールをね。

村松  それまでの日本人の中に根深く存在していた、バーや酒場のカウンターに座っているやつは極道でろくでもないという考えを切り替えて、カウンターで飲む文化を広めようとしてトリスバーを展開した。そのサントリーの佐治敬三さんの戦略に、真っ只中ではまっている学生でしたね(笑)。

宇野  トリスバーが成功すると、ニッカバーとか、オーシャンバーとか、日本のメーカーの名前のついた安いバー がでてきましたね。バーの看板にちゃ んと、ハイボール 50円、ストレート40円、それにたしかジンフィーズも100円か130円などと値段が出ていましたよね。だから学生は安心して入れたんじゃないですか。

村松  当時はいわゆるホテルのバーなどのちゃんとしたバーテンダーとは違う意味で、用心棒と人生相談と行儀の悪い客なんかを追い出す係りとして、 そういう役まわりのバーテンさんっていうのがいました。トリスバーっていうとなんとなく、バーテンダーっていうような酒をつくるだけの人ではな く、ものすごく頼りになるその店の男としてのバーテンさんが存在しているところでした。バーテンさんという言葉は、馬鹿にしている、軽んじているのではなくて実はバーテンダーを超えた存在の表現なんですね。バーテンダー以上の存在、そういう人だったんです。

宇野  そう、それでダイスやったり、カクテルつくったり、喧しいお客さんがいるとそーっと客のそばに行って、 そーっと外に連れ出したりして、何でもないように帰ってくるんですね。それでトランプの手品なんかやってくれるとやっぱり凄味がある、日活映画見ているみたいでね。

村松  ケンちゃんとかヤマちゃんとかみんな名前で呼んでいました。バーテンダーというのは、職業として認めている呼称ではあるけれども、バーテンさんという親しみとはちょっと違うんですね。

宇野  トランプやマジックをやる人が多いというのはなんなのでしょうね。

村松  それと、ダイス。金を賭けなきゃ安いゲームですよ。

宇野  それに何かバタ臭いですよね。 豪華客船のキャビンなんかのバーで、 客をもてなすような感じですね。

村松  サントリーは、僕はステップから言うとそのうち「シロ」を飲みたい なと思っていて。なにしろずっとトリハイばかりでしたからね。「角」なんてのは別世界。そう思っているうちに勤め人になって、 会社の仕事で行くようなところでは、お座敷なんかで対談をやりながら、「オールド」を水割りにして飲むというのをサントリーが展開したものだから、いきなりトリスのハイボールから「オールド」になっちゃって、ステップ踏むはずの「シロ」と「角」がとんじゃったんです。で、憧れのまま凍結しているんです。「レッド」はね、そのあとゴールデン街とか、 いろんなところで飲んでいましたけどね。

宇野  やはり「レッド」は飲まれましたか。そのころの「レッド」のボトル は、今の「ホワイト」のような丸いロングなボトルでしたか。

村松  丸い長いものです。宇津井健が浮かんでくるな、コマーシャルやってましたよね。「レッド」 や「シロ」はファンが多いですね。いまだに「シロ」しか置かない店というのを、どこかで聞いたことがあるし。

トリスウイスキーに親しんだ人が、も う少し上級のウイスキーを飲みたいと思ったときに手にする酒として、サン トリーレッドが発売されたのは昭和39年のこと。価格は500円。この年、ニッカも価格も度数も同じ「ハイニッカ」を売り出した。発売当初は「ホワイト」と同じような丸瓶だったが、翌40年にはデルクス角瓶と呼ばれるおなじみのボトルに代わった。そして、サントリーが提供していた人気テレビドラマ「ザ・ガードマン」の主演の宇津井健は「レッド」のコマーシャルにも出演、「レッド」の顔となった。

昭和15年に完成していたが戦時ということを鑑み実際にサントリーオールドが発売されたのは昭和25年だった。その形状から「ダルマ」と愛称された。

宇野  村松さん、編集者時代は、よく作家と一緒に? 文壇バーというのが ありましたでしょう。

村松  ウイスキーの現場として一番の印象は、料亭などでの偉い老大家みたいな人たちの座談会とか文学賞の選考会ですね。で、会が一段落すると、そこに出るのが、だいたいサントリーの「オールド」の水割りなんです。そういうムードとしての「オールド」ですね。で、銀座に、ホテルのバー並みの値段で舶来のウイスキーを飲ませると いうバーがあったんですね、いくつか。350円くらいでジョニ赤とかブラック&ホワイトとか飲めるというので、 そこで舶来品を飲んでいましたね。

宇野  当時は、漫画の「サザエさん」などにも風刺的に描かれていますが、 もうジョニーウォーカーさまさまなんですね。家宝のようにチビリチビリと波平さんが飲むわけです。

村松  ジョニ赤のラベルって、男が帽子をかぶって歩いているでしょ。この男はどこに向かって歩いているんだろうなんて、そのラベルをつまみにしてジョニ赤を飲む。だから「NADJA」 では宇野さんのマッチが結構つまみになったんですよ。それを眺めて飲む。そこに何かこう気分が通い合うみたいなもので。純粋にウイスキーを味わうよりいろんなものが混じったその場の空気感を味わう。僕は学生のころはハイボールだったんですけれども、会社に入って仕事で作家なんかと一緒に飲んだ時代は、ハイボールは沈んで水割りの時代がやってきたんですね。そこで編集者がハイボールを飲んでるのも変な感じがするんですよね。だから、「はあ、水割りで結構です」(笑)という感じでしたね。

宇野  ウイスキーそのものの味覚の記憶とか歴史とかはほとんどないのですが、町の風景としては、ウォーカーさんが歩いていたり白い馬(ホワイトホース)が駆けていたりする看板がありましたね。それと、先ほどの「レッド」と宇津井健のようにタレントとつながっているという話。ビールだと「男は黙ってサッポロビール」という三船 敏郎のCMがありましたが、タレントと結びつくということは、映画が全盛だったのですね。最近ウイスキーというのはどうなんですかね。若い人なんか焼酎が多いように見ていますが。

村松  そうでしょね。だけど、ウイスキーは結構潔い酒だと思いますね。要するにワインは体にいいとか、日本酒は肌に良いとか、焼酎は次の日残らないとか、健康ブームの中で酒を飲むいろんな正当化する理由があるわけですが、ウイスキーっていうのは酒そのものなんです。だから昔の悪場所といわれるような酒場なんてとこにいてウイスキー飲んでいる自分というのは悪くないなと思っているような気分が、味わえる酒なんです。しかも孤独に一人で飲んでも様になる。トリスバーの時代でも、居酒屋は横の客と話をするけれど、トリスバーはバーテンさんがいてその人を軸に放射状に話をして、横同士が話をすることはなく、客それぞれが個人で飲んでる。客同士何年も会っているけれど何をやっている人か知らないみたいなね。

宇野  村松さんは、ポッカリ抜けてしまった「シロ」と「角」はその後穴埋めはできたんですか。

村松  結局両方ともずっとスルーしていて、それが引っかかっていましたが、最近ハイボールが美味いという店で、「角」でつくったハイボールを飲みました。結局、僕にとってのハイボー ルというのは金がないから、早く酔いたいから飲んでた酒で、あんなに美味いと思ったことはないですね。そのときのあこがれが「角」だったんですが、結局「角」とは、金がないからといって飲んでいたハイボールで出会っちゃったわけです。

柳原良平のイラストによるアンクルトリスが誕生した昭和33年以来、アンクルトリスはサントリーの顔として様々な広告に登場。

サントリーといえば、時代の空気を先読みした遊び心にあふれる数々の広告がある。その広告制作の自由な気風は、 まだサントリーが寿屋であった時代に生まれた。昭和30年代当時の寿屋宣伝部には後に芥川賞を受賞する作家・開高健、直木賞を受賞する作家・山口瞳、 アンクルトリスを生み出したイラストレーター・柳原良平ら異才が集まっていた。トリスバー向けのPR誌「洋酒天国」の発刊は昭和31年のこと。コマー シャル色を徹底的に排除し、その内容は野球、コーヒー、香水、テレビなど森羅万象にわたり後には「夜の岩波文 庫」とまで呼ばれた。創刊号には吉田健一や木村伊兵衛の名前もある。


宇野  そういえば「オールド」のボトルっていいですね、黒の「ダルマ」。 それと「オールド」のコマーシャルといえば「ドンドンディドンシュビダ デン オデーエーエーエーオー」というスキャットの曲(小林亜星作詞・作曲「夜がくる〜人間みな兄弟〜」)も、 「オールド」っていう味わいでしたね。 ちょっと哀愁があって、ウイスキーのように沁みるような。

村松  テレビを通じて、「トリスを飲んでハワイへ行こう!」なんていうのをはじめとして、世相とスイングして酒場なり洋酒があったという時代ですよね。

宇野  トリスバー向けのPR誌が「洋酒天国」で編集長が開高健さんだったんですね。サントリーの広告チームには山口瞳さんがいて、アンクルトリスの柳原良平さんがいましたね。「人間らしくやりたいナ」は開高さんのコピー、「トリスを飲んでハワイへ行こう!」 は山口さんのコピーでしたよね。 今は伊集院静さんが書いている、新成人に向けたメッセージも当時からありましたしね。「新入社員諸君!」と題した当時のコピーで「はじめてもらったサラリーでトリスを買ってパパと飲もう」というのもありました。サントリーは、記憶に残る広告、コマーシャルがたくさんあります。

村松  そのころは酒といえば、みんなウイスキーですね。日本酒でもないし、 ワインでもないし。日活の石原裕次郎の映画でもウイスキーなんですね。

宇野  ワインになると、雑学というか、教養を出し合ったりするから、男の話にならないんでしょうね、きっと。一 番ウイスキーを愛したって人はどなたでしょうね。

村松  伊丹十三さんは、まだ一 三(いちぞう)のころからのつき合いだったんですけど、 二人ともJ&Bとかカティサークとかが世の中に出てくるとそういうのを飲みたいと思うわけです。簡単には手に入らないから、それを持っていったりすると、伊丹さんものすごく喜びましたね。バーボンやジャックダニエルなんかで何年ものというようにステップが段々上がっていく、そのステップアップみたいなことを喜ぶレベルっていうのかな、男として。そういう感覚にウイスキーというのは合うのではないかと思うんですよ。何でも手に入るような人が最終的に楽しめるとしたら、それはブランデーとかワインみたいなことになるのかなと。ある意味で、長いレンジの男の青春みたいな感じが漂うんですよ、ウイスキーには。

宇野   それと食事とリンクしにくいですね、ウイスキーは。やはりつまみ程度がぴったりとくる。ウイスキーをBGMに食事をするという感覚ってあまりないですよね。ワインも日本酒も、 焼酎も食事のパートナーになる。だから逆に村松さんが言っていたようにお酒として、ウイスキーは潔いんです。

村松   それに、若いころは二級酒のような、相撲でいえば序の口のようなところから入って、酒をステップアップ していくというのは、あれはね一種の面白さなんですよね。いきなり大関級の酒を若いうちに飲んでしまうと、どういうことになるのかなと。それじゃ最高のフィクションとしての貧乏が、 楽しめない(笑)

毎年、成人の日に、20歳になった若者たちに向けた、人生と酒を語ったメッセージ・シリーズもサントリーウイスキーのおなじみの広告。現在は作家・伊集院静氏のコピーで知られる。写真はすでに作家となった山口薫氏が書いた「人生仮免許」。昭和53年1月15日の新聞広告。

むらまつ ともみ

作家。1940年、東京生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科卒業。出版社勤務を経て文筆活動に入る。82年『時代屋の女房』で第87回直木賞、97年『鎌倉のおばさん』で第25回泉鏡花文学賞受賞。『私、プロレスの味方です』 『夢の始末書』『アブサン物語』『ヴィンテー ジ酒の物語』『百合子さんは何色』『幸田文のマッチ箱』『淳之介流―やわらかい約束』『永仁の壷』『ヤスケンの海』『時のものがたり』『清水みなとの名物は―わが心の劇団ボートシミズ』『雷蔵の色』など多数の著書がある。

うの あきら

挿絵画家、イラストレーター、グラフィックデザイナー。1934年、名古屋市生まれ。50年代から鬼才イラストレーターとして活躍し、65年には横尾忠則、和田誠、山口はるみ、灘本唯人らと共に東京イラストレーターズ・クラブを設立、寺山修司の天井棧敷のポスターの制作などに携わる。『上海異人娼館』 (寺山修司)、『ジャミパン』(江國香織)、『時のものがたり』(村松友視)、『世界は俺が回してる』(なかにし礼)など多数の挿画のほかに、『宇野亜喜良の世界』『宇野亜喜良全エッセイ・薔薇の記憶』『宇野亜喜良60年代ポスター集』などがある。

2010年6月1日 Vol.5より
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