キャプテン翼の世界にひたれる京成線・四ツ木駅
今や、京成電鉄押上線「四ツ木駅」は、サッカーファンには「聖地」とも言われている。というのは、葛飾区四つ木は、漫画『キャプテン翼』の原作者・高橋陽一氏の出身地であり、加えて主人公・大空翼が小中学校を過ごした舞台となる静岡県南葛市は、高橋氏の出身校の都立南葛飾高校の略称から名付けられたもので、「四ツ木駅」から「京成立石駅」周辺は『キャプテン翼』の世界を身近に感じることができる街づくりが徹底されているからだ。
高橋陽一氏は、80年に『キャプテン翼』(集英社)でデビューした。81年から『週刊少年ジャンプ』で連載が始まり、83年にはアニメ化されテレビの放映や映画でも次々に公開されると、日本のサッカーはもとより、世界のサッカーの普及にも貢献し、海外の数多くのサッカー選手たちにも影響を与えた。
例えば、イタリア代表の背番号「10」を長らく背負い、06年のワールドカップ優勝の立役者の一人となったフランチェスコ・トッティ氏(48歳)は、『キャプテン翼』から、「不可能と思えることにも挑戦する気持ちを学んだ」と語っているし、元スペイン代表のMF(ミッドフィルダー)で、名門バルセロナ、後にヴィッセル神戸でもプレーをしたアンドロス・イエニスタ氏(40歳)も少年の頃、地球の裏側のスペインでアニメ「キャプテン翼」を食い入るように観ていた一人だ。日本代表のキャプテンを長い間務めて来た長谷部誠氏(41歳)も、「僕ら世代で『キャプテン翼』を観ていない人なんていないんじゃないですか?『キャプテン翼』が日本サッカーの発展に与えた影響は絶大です」と語っている。
『キャプテン翼』の連載が始まった81年は、日本にはまだプロのサッカーリーグはなかった。Jリーグが発足した93年5月は、わずか10のクラブチームの加盟だった。98年のワールドカップフランス大会に日本代表が悲願の初出場、その後常連国になり現在FIFAランキングでは15位となっている。世界でプレーをする選手も多くなり、Jリーグも今では全国41都道府県に60クラブができている。まだ6県の空白地帯があるが、47都道府県全てにクラブチームができることもそんなに先ではないだろう。
このようにサッカー人気が高まる中、京成電鉄、葛飾区、集英社が協力し合い、2019年3月から四ツ木駅に特別装飾(ラッピング)を実施。23年10月からは、アニメ「キャプテン翼シーズン2 ジュニアユース編」がテレビ東京系列で放映開始されたことに合わせ、四ツ木駅の階段、壁、天井、改札付近まで丸ごと駅構内がラッピングされ、構内アナウンスには、翼とその応援団長で「あねご」と呼ばれる中沢早苗の他に24年1月からは、日向小次郎が登場した。列車接近メロディ―には、アニメのエンディング曲である「燃えてヒーロー」が流れる。四ツ木駅に下車すると一瞬にして、キャプテン翼の世界に引き込まれるのだ。