2016年10月1日号「街へ出よう」より
早朝、神社や寺で開かれる骨董市に出向く。
そこには、時代物の陶器あり、古道具や和洋の家具まであり、思わぬ掘り出し物を見つけて得をした気分に浸れる。
古きよき物の良さを見つめなおし、再生した道具を後世に残すことはなんと贅沢なことだろう。
骨董市を歩く
~思わぬお宝と出合うときめき~
文・太田和彦
旅をすると、その町の古道具屋をのぞくのが楽しみになった。古美術商は敷居が高く、入るのはあくまで古道具屋。探すのはおもに酒器や皿で、文字通り埃をかぶっている二束三文だ。値段の上限は一つ二〇〇〇円までと決めているが、四〜五〇〇円くらいが多い。何々焼のような陶器には興味がなく、印判や染付けの磁器。新品よりも、役目を終えて今ここに静かに埃をかぶる。それを買い求めて再生させるのが好きだ。
例えば盃には「小料理○○」とか「××楼」の名入り盃がよくあり、店使いしていたものが放出されたのだろう。この盃でどれだけの人が酒を酌んできたか。嬉しい酒も、その逆も、好きな女から受けた酌もあるだろう。その最終列に自分も加わる。そんな盃がいつのまにか五〇〇個ほどにもなり、BSプレミアム「美の壺」の盃編で披露したのが自慢だ。
早起きは三文の徳を実感する骨董市
新井薬師骨董市は毎月第一日曜日の朝六時から始まる。今は午前九時。小砂利に石畳の通るほどよい広さの境内は、すでに思い思いの場所に露店が出ている。陳列はまことに簡単で、地面にブルーシートを敷いて品を並べ、上に日よけテントを張っておしまい。店番の人はアウトドア用の椅子で、だいたいは昼寝(朝寝?)中。始まった甲子園野球の実況を小型ラジオで聞く人もいて、なんとものんびりした雰囲気だ。
さあ探すぞ。思いつきで手を出さず、まずひとわたり見て目星をつける。それからピックアップ購入が私のやり方。まずは皿や酒器。ふんふんこれね、これはよく見る、これは持ってる、これはちょっといいな。最近多いのは蕎麦猪口で冷や酒によい。印判は同じ絵柄でも濃淡で見栄えが違い、最もよい品を選ぶのが肝心、というか面白い。
およそ見当がついて後は専門外(?)を。地面に直置きした木箱は、こけし、ハーモニカ、子供の箸箱、孫の手、ナイフなどが雑然と。山を成す古い腕時計はマニアにはたまらないだろう。酒や飲み物のラベルをコレクションした一袋もある。木の根方にたてかけた、指差しの絵が入る〈すぐ北 うどんそば 酒有 大勉強 朝日屋〉のブリキ看板は誰が買うのだろう。私か? 英国エリザベス女王とタウンゼント大佐の結婚記念肖像写真の八角缶は珍しい。ガラスケースに別格にならぶ素朴な西洋陶人形は〈オキュパイドジャパン「占領下の日本」という意味です。そのうちの1947年〜1952年、輸出品には「Made in Occypied」と入れることが義務づけられていました〉と説明がつき、愛らしい表情は一つほしいが二八〇〇円だ。
着物や帯など和装の露店は今人気なのかたいへん多く、若い女性が品定めに余念がない。紺無地着物の女性客の帯は、三ツ星サイダー、フルーツヨーグルト、清酒月の光などの王冠をちりばめたポップなもので、写真を撮らせていただいた。
ここはお薬師様。卒塔婆の建つ石塀に反物生地をかけ並べ、下の地面戸板に壺や小皿の眺めは、溝口健二の名作映画『雨月物語』の京の通り市の場面のようだ。樹上から聞こえる蝉しぐれの中、一人で来ている人が多く、帽子をかぶった中高年お父さんやロングスカートの女性がゆっくり見てまわっている。まだ暑くならない午前中の露天骨董市は色んな意味で「早起きは三文の徳」。これほどよい日曜散歩はない。
私の戦利品は、小盃、豆皿、小皿など〆て四〇〇〇円。買えなくてグヤジーは、子を背負った夫婦が山道を旅する絵柄の江戸期の染付け中皿七五〇〇円でした。