北島寛の写真で蘇る団塊世代の子どもたち
SPECIAL FEATURE 2018年10月1日号より
BSのテレビ番組などで、「昭和」という時代が頻繁に特集されている。〝スターのいた時代〞〝誰もが口ずさんだ名曲〞〝団欒の中心にテレビがあった〞…… といった切り口で、いずれも昭和の時代が〝あの頃〞という語り口で紹介されている。いかに多くの人々が遠ざかる昭和を懐かしく想い、今、昭和の心を求めているのかが推察される。 2019年4月の天皇陛下退位に伴い、平成時代が幕を閉じる。そして、昭和がさらに遠のいていく。
福岡在住の写真家、北島寛さんの写真に、昭和30年代前半の福岡・博多を撮影したシリーズがある。福岡で写真展も開催され、県外からも多くの人々が訪れたという。敬愛する小津安二郎に捧げる映画『東京画』を監督したヴィム・ヴェンダースは 「小津の作品はもっとも日本的だが、国境を越え理解される。私は彼の映画に世界中のすべての家族を見る。私の父を、母を、弟を、私自身を見る」と語っている。北島さんの写真もまた、中央、地方の境界を越えて、人々の心に、あの頃を蘇らせる。写真には人間の匂いがたちこめる町で、ひたむきに生きる人々のエネルギーが写される。
ひたむき、無心の昭和
町は子どもたちの遊び場だった
~北島寛「昭和30年代のアルバム」に寄せて~
文=松尾孝司
缶蹴り、コマ回し、ケンケンパー……女の子はままごと、ゴム跳び ……。昭和30年代、福岡市の町には子どもたちの元気な声が飛び交っていた。町は、子どもたちの遊び場だった。カチカチ、という拍子木の音は紙芝居がやってきたことを告げていた。街頭テレビの前は、見入る人だかりができていた。
北島寛のアルバムからは、遠い昭和の、セピア色の記憶が次から次に飛び出してくる。昨日のこと以上に時代の情景が鮮やかだ。かけがえのない時代の一コマ、一コマ。リヤカーに子どもを乗せて金属回収に回る母親の姿も、雪の日、子どもを連れて行商に出ている母親の姿もある。子は、親たちの懸命に生きる姿を見て育った。子どもを連れて親は働いていた。人間の匂いがたちこめていた時代の風景だ。北島の写真集を見た全国の人からは「私たちの町の風景と似ている」との声も寄せられている。かつての日本人が共有した原風景に違いない。
敗戦で軍国ニッポン・天皇制の呪縛から解き放たれ、国民の価値観は白紙になった。昭和30年代は、米軍・国連軍の朝鮮動乱特需で目の前の戦争の不安を感じながら、そのニッポンに経済至上主義が頭をもたげつつあった時代。道端に落ちた金属片を拾う姿もカメラはとらえている。戦争特需で金属が高値で買い取ってもらえた時代を切り取った一コマなのだ。マッカーサー元帥という連合軍最高指揮官下の時代だった。