昭和の子供にとってデパートへのお出かけは一大イベントであった。銀座四丁目生まれの女優・和泉雅子はデパートは遊び場だったと語っていたが町内にデパートがある町っ子でもないかぎりデパートは子供にとっていつでもいける場所ではなかったのだ。たまの日曜日のお出かけ、あるいはゴールデンウィークや夏休みにしか連れて行ってもらえない特別な場所だった。玩具売場を見て、大食堂でお子様ランチとプリンアラモードかフルーツパフェ。そして、屋上遊園地で遊ぶ。一日楽しめる夢の国だった。だが、昭和は遠くなりにけり。大人になった昭和の子供たちは今、向田邦子さんのように〝デパ地下めぐり〟に心躍らせている。
昭和の風景 昭和の町 2012年10月1日号より
デパートにお出かけ
昭和の家族の楽しみ
文=川本三郎
デパートは昭和の子供の格好の遊び場所
デパート(百貨店)が輝いていた時代があった。
小市民の家族の楽しみのひとつはデパートにお出かけすることだった。買物をし、食堂で食事をし、屋上の遊園地で遊ぶ。
デパートが小市民の生活に溶け込んでくるのは、大正時代から。広告史上の名コピーとされる「今日は帝劇、明日は三越」は大正時代の三越が作ったもの。
関東大震災のあと大正十三年(1924)に発表された谷崎潤一郎の『痴人の愛』では、中流サラリーマンの「私」とカフェー女給だったナオミが一緒に暮すようになるが、二人はよく「デパートメント・ストアー」へ買物に行く。
「殊にその頃は、殆(ほとん)ど日曜日の度毎(たびごと)に三越や白木屋へ行かないことはなかったでしょう」とある。
日本橋にあった「三越」「白木屋」が日本を代表するデパートだったのはいうまでもない。
三越は日本で最初のエスカレーター、白木屋は日本で最初のエレベーターを設置した。どちらもハイカラな「百貨店」だった。
デパート勤めの女性は美人が多かった
戦前の日本映画の名作に昭和十二年の作品『限りなき前進』がある。脚本は小津安二郎、監督は内田吐夢。東京郊外に住むサラリーマン(小杉勇)の哀歓を描いている。
その家の娘(宝塚出身のスター、轟夕起子が演じている)は白木屋に勤めている。当時、女性の仕事としては人気があった。
小学生の弟(子役時代の片山明彦)は姉の勤め先だから気易いのだろう、日曜日に友達と白木屋に行く。屋上で遊んだり、食堂で食事をしたりする。昭和の子供にとってデパートは格好の遊び場所になっている。
新宿が新しい盛り場として発展してゆくのは関東大震災後。ここにもデパートが出来る。昭和六年(1931)に開館した伊勢丹(昭和十一年には現在のアールデコ調の建物が建てられる)。
昭和十四年の映画、菊池寛原作、佐々木康監督の『女性の戦ひ』では、当時のスタア、川崎弘子が伊勢丹のネクタイ売り場で働く女性を演じている。まだ着物姿なのが時代を感じさせる。
彼女はネクタイを買いに来た、上原謙演じる映画会社の青年重役に女優にならないかと誘われる。
デパートの女性は美人が多かったからよく映画会社にスカウトされた。戦後のスター、池内淳子と、新東宝のグラマー女優、前田通子(みちこ)は日本橋の三越の店員だった。