プロマイドで綴る
わが心の昭和アイドル&スター
企画協力・写真提供:マルベル堂
大スター、名俳優ということで語られることがない人たちかもしれないが、
青春の日々に密かに胸をこがし、心をときめかせた私だけのアイドルやスターたちがいる。
今でも当時の映画を観たり、歌声を聴くと、憧れの俳優や歌手たちの面影が浮かび、懐かしい青春の日々がよみがえる。
プロマイドの中で永遠に輝き続ける昭和の〝わが青春のアイドル〟たちよ、今ひとたび。
※プロマイドの老舗・マルベル堂では、原紙をブロマイド、写真にした製品を「プロマイド」と呼称しています。ここではマルベル堂に準じてプロマイドと呼ぶことにします。
時代はいきなり飛んで1971年。沖縄から一人のアイドル歌手が誕生した。〝シンシア〟こと南沙織だ。ちなみに沖縄返還は1972年だ。南沙織は後に同時期にデビューした小柳ルミ子、天地真理と共に〝新三人娘〟と呼ばれる。今回は、読者の方からの熱いご要望もあり、南沙織の思い出のページをめくってみたい。デビュー曲は「17才」で、作詞は有馬三恵子、作曲は筒美京平だ。その後も「潮風のメロディ」「ともだち」「純潔」「哀愁のページ」「早春の港」「傷つく世代」、そして「色づく街」とこのコンビによる楽曲が続く。そこには多感な少女のさまざまな表情や心情が描かれていて、南沙織が歌と共に自身も少女から女性へと成長していく過程を見せられているような気がした。作詞家、作曲家、プロデューサーなど、プロジェクトスタッフみんなに大事に育てられていたのではないかと思える。彼女が芸能界の陰の部分を感じさせなかったのもそのせいではないだろうか。
僕は南沙織と同じ年の生まれだったので、〝新三人娘〟の中では、同級生の女の子を応援するような感情で、やはり彼女に肩入れしていた。彼女に対してそんな〝世代的共感〟を持った人たちは多かったのではないかと思う。有馬&筒美コンビ以外の楽曲では、田山雅充作曲の「人恋しくて」を75年にリリースし、日本レコード大賞の歌唱賞を受賞している。同級生の女の子が認められたようで嬉しかった。そしてジャニス・イアン作曲の「哀しい妖精」(作詞は松本隆)も、彼女の醸し出す詩情のようなものと、ピッタリとハマった曲だったと思う。78年には尾崎亜美が他のアーティストに初めて楽曲を提供したことでも話題になった、資生堂・春のキャンペーンソング「春の予感-I’ve been mellow-」をリリースし、これからどんな歌と出合うのだろうかとイメージを膨らませていた矢先、彼女は、在学中だった上智大学での学業専念のため、と活動停止を発表した。もちろん、残念ではあったが、芸能界という特殊な世界にどっぷりつかることなく、アイドルである前に、一人の女性としての人生を優先的に考えていたような気がして、芸能界の匂いが希薄な彼女らしさも感じたことを憶えている。写真家の篠山紀信氏との交際が始まったのは引退後のことである。