今を精いっぱい生きる

私の生前整理 2016年4月1日号掲載


文=小山明子

(女優)


最愛の夫を見送って
深く考えるようになった
私自身の生き方

 夫の大島渚が亡くなって三年が経ちました。
 十七年に及ぶ介護生活。最後の三年くらいは、生きていればこんな楽しいこともあると思ってもらいたいと、限られた生命をどう過ごすか考えつづけていました。

 介護度5でも、「京都へ行きたい」と言い出したときは、えっと思いましたが、大学の同窓会に連れて行きました。
 息子からパパが死んだらどうするのと、反対されましたが、思い出のホテルを予約し、友達を招き、医者の兄、お友達の澤地久枝さんにも同行してもらって、楽しい旅となりました。
 後悔しない介護を、心がけました。本人の希望はなんでもきく、彼が喜んでくれるのが、私の幸せだったからです。

 墓は鎌倉建長寺内、回春院に結婚四十五周年記念に造りました。先祖とは別に夫婦二人だけで入る墓が欲しかったからです。
 大島の育った瀬戸内海の石に「深海に生きる魚族のように自ら燃えなければ何処にも光はない」という明石海人の言葉を、そのまま墓石にきざみました。
 私自身も死について、深く考えるようになりました。
 よき死を迎えるために、今を精いっぱい生きようと。

大切な人たちに
生き形見を遺すことと
触れ合った想い出を残すこと

 私の実家の法事のときには、親戚の子たちに形見分けしています。ネックレス、ブローチ、指輪などをくばって、親しい友人たちにも洋服や着物をあげるようにしています。死んでからもらうより、生きているうちにと思って、生き形見ですね。

 身近に長患いの夫を看取ったので、私はピンピンコロリで最期を迎えるために、六十四歳から始めた水泳は、今でも週一回通っていますし、最近は麻雀教室にも通っています。
 今年も一月、歌舞伎座に出かけ、仲良しの友達との食事会、クラシック音楽会、ジャズのライブと、初めてのことにも挑戦しています。

 東日本大震災後、大熊中学校(編注・会津若松市大熊町)に、毎年本をお送りしていますが、子供たちからのお礼の色紙は、私の宝物です。
 福島で知り合った震災で家を流された女性が、カラオケ大会で着物を着たいとのことで、すぐ着物と帯をお送りし、とても喜ばれました。これからも忘れずに、人の役に立つ支援活動をしていこうと思っています。

 私は息子や孫たちにお金は残さないと決めていて、その代わり孫たち一人ずつと、二人旅をしようと思いつきました。
 今まで、山口、広島、鎌倉、そして去年は中学生の男の子と伊豆下田に二人旅。こんなことを考えているのかとびっくりするやら、教えられることも多々あり、面白い旅となりました。

 こんなおばあちゃんだったと、想い出してもらえたらいいなと。さて、今年は誰と何処へ行こうかと、楽しみにしています。

こやま あきこ

1935年千葉県生まれ。55年松竹映画『ママ横をむいてて』でデビュー。60年大島渚氏と結婚、翌年松竹退社。96年大島氏が脳出血で倒れてからは、女優業から距離を置いて介護に専念するも、看病疲れなどから自らうつ病となる。病を克服して、01 年個人事務所を設立し、介護をテーマにした講演やコメンテーター、執筆などを中心に活動している。『パパはマイナス50点 介護うつを越えて、夫、大島渚を支えた10 年』で、第25回日本文芸大賞エッセイ賞を受賞。他に『小山明子のしあわせ日和』、『男と女のちょっと気になる話』(大島渚と共著)などがある。

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