私の生前整理 2013年4月1日号より
文=黒鉄ヒロシ
(漫画家)
未練との軽い握手が、整理なる行動を生む
ひと昔前の多くの日本人は〈生前整理〉について語ろうとはしなかった。
整理するヒトは黙ってそうした。
人生の整理とはそういうもので、宣言したり強請されたりするものとは性格を異とするものであった。
〈武士道〉の名残りのような気配がそうさせたものか、或いは生と死とを繋ぐ点での、つまり生きてはなく死んでもいない中間に於いての精神の重心の置きどころに自信が持てなかったのではないか。
実存主義を強く意識したタイプは作業を中止した。
死後に何もないと識(し)れば、生との関係性はその瞬間に断絶する訳だから、整理などする必要はないのだった。
それでも言語でかけられた魔法は強烈で、まさか阿呆ではあるまいから、死後の世界や霊魂だのが存在するとは考えはしないが、そう断じ切れない気配のようなモノ、つまり未練と握手する程度の思い付きから、整理なる行動と結び付いた。
遺言も同様で、生前に書いたモノが死後に影響を与えるという陳腐さは自らの死を想って沈むココロに軽い笑いを提供したことであろう。
先人が遺した「生者は死者に惑わされることなかれ」という言葉はけだし名言だと頭では理解できても、遺言を考える傍らで眠る妻や子、人によっては父母兄弟姉妹、または恋人愛人、はたまた犬猫、ちょいとひねって隣の奥さんと、対象は千差にして万別であろうけれど、要は愛する者、実は遺書を書く時点では愛した者と過去形の筈なのに現在形の如くの錯覚を甘く自らに許してしまう。
死神に対峙してきた私の奥の手
中には諸々の整理をしている内に、衝動の源が、自らが死んだあとも生き続ける者達への嫉妬から発しているコトに気付いたタイプは「てやんで」と、放蕩方面へと駆け出して行く。
青春期の通過儀礼のような〈死を考える〉という誘惑にかられた結果、私が答えとしたものは〈笑い〉であった。
ヒトが感じる最大にして絶後の〈死〉というストレスに対して対峙できるモノとして〈笑い〉を思い付いた訳である。
死神の切札と引き分けるには、ルール変更という奥の手しかないと考えた。〈笑い〉が万人向きでなければ〈ダンディズム〉とも言い換えがきく。
歯をくいしばってかは知らねども死に際しての先人達のスマートな迎え方が、百年後、千年後の今も口の端にのぼるのが証左である。
そこで「よし、ここは一番、感心する側から、される側に回ってやろう」と覚悟する。
故に、私にとっての〈生前整理〉とは、未練を虱つぶしにすることでも遺書を書くことでもなく、生きた証しとして〈ケッタイな死に方やったなァ〉と、残るヒトに思って貰いたいとの一点。
この覚悟を強固にすべく、死神に対する防戦策としての笑いを磨き上げることが、私の生前整理に他ならないが、なんと生まれてよりこのかた、全てをこの準備に費やしてきたように思われる。
くろがね ひろし
1945 年高知県生まれ。漫画家。68 年、『山賊の唄が聞こえる』でデビュー。97 年『新選組』で文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞受賞、同じく第4 3 回文藝春秋漫画賞を受賞。98 年『坂本龍馬』で第2回文化庁メディア芸術祭マンガ部門で大賞。04 年、紫綬褒章受章。宮部みゆきとの共著『ぱんぷくりん』、『千思万考』など著書多数。