私の生前整理 2012年4月1日号より
文=玉村豊男
(エッセイスト・画家・農園主・ワイナリーオーナー)
モノが増えてしまった田舎暮らし
田舎に住んで農業をやりたいが、畑のついた家を貸してくれる人はいないだろうか。ときどき、そんな相談を受けることがある。
私たち夫婦は東京から信州に移住し、里山の斜面で農業をはじめて二十年。あたりは古い農村地帯だが、隣組のつきあいにも慣れて田舎暮らしが板についた。だから村びとに相談すると、誰それさんの家が空いているよ、とすぐ教えてくれるのだが、いざその家の人に聞いてみると、話がそれ以上進まない。
空いているから貸すのはいいが、古い家だから片付けが大変、というのがその理由だ。亡くなった両親が住んでいた家は、家財道具ごとそのまま残されている。遺品の整理も手がつかず、息子たちはその隣に新しい家を建てて住んでいる。
私の住む地域に限らず、日本の農村ではそういうケースがきわめて多い。人に頼むといっても、古い手紙からへその緒まで出てくるような納戸部屋に他人を入れるのは嫌だし、かといって近親者ではよけいに入りにくい事情もある……。
私は、そういう話を聞くたびに、自分の家の中を見まわたしてため息をつく。こんなにモノが増えてしまっては、引越しも無理だし、残された人も困るだろう。
玉村流長生きの秘訣は……
東京に住んでいた頃は、十年間で七回も転居を繰り返す引越し魔で、不要なモノはそのたびに捨てていたから、いつも身軽な暮らしだった。が、それは、若かった、ということでもあるのだろう。歳をとるとともにモノと思い出は増えていき、しだいに過去は捨て難いものになっていく。
身のまわりを整理することは嫌いではないので、書類や本や洋服などは、ときどき思い切って処分している。が、それは生前整理のレベルからはほど遠いもので、まだまだ手のつけようのない夥しい量のガラクタが、大きな家の隅々にまで目一杯詰まっている。
おそらく、死ぬ前に整理しなくちゃね、といいながら、死ぬまで整理はできないだろう。でも、それが案外長生きの秘訣ではないか、とも思っている。
人は、ライフワークを成就すると、気が抜けてぽっくり逝くことが多い。それと同じで、すっきり整理をしてなにも残ったものがなくなると、生きる意欲が喪われるのではないだろうか。なにかやり残したことがあり、また明日これをやろう、と思うから、人はもう一日生きようとするのである。
今日できることは明日に延ばせ。それが長生きの秘訣だから、整理をするにしても少しずつ、あまり急がないほうがいい、といって、私はみずからの無精を弁護している。
たまむら とよお
エッセイスト・画家・農園主・ワイナリーオーナー。1945年、東京都生まれ。東京大学仏文科卒業。在学中にパリ大学言語学研究所に留学。通訳、翻訳業をへて、文筆業へ。83年より軽井沢町で生活。その後、病を機に高校以来中断していた絵画制作を再開した。89年長野県上田市の「原画廊」で初個展。91年より長野県小県郡東部町(現・長野県東御市)在住。ワイン用ブドウ、ハーブ、西洋野菜を栽培する農園ヴィラデストを経営。現在出版されている著書に、『絵を描く日常』『玉村豊男 パリ1968-2010』『隠居志願』『ヴィラデストの厨房から』『旅の流儀』『千曲川ワインバレー 一新しい農業への視点』『今日よりよい明日はない』『食卓は学校である』『田舎暮らしができる人できない人』『パリ・旅の雑学ノート』『料理の四面体』『男子厨房学入門』など。作品集に『FLOWERS Ⅱ』『PRELUDE』などがある。最新刊は『美味礼讃』(翻訳・解説 新潮社刊)