文=坂東眞理子
昭和女子大学学長
私の生前整理 2012年7月1日号より
遺された厖大な品々を前に
昨年おばが92歳でなくなった。子供のいない人だったので、私が代表相続人となり、いろいろの手続きをしたり、整理をし、貴重な経験をすることができた。
おばの夫は2年前になくなり、その際すべての財産はおばが相続すると遺言があったので、預貯金も不動産もみなおばが相続した。おばは遺言を残さなかったので、預金の半分を私のいとこたちで相続し、預金の半分をおじのおいたちに贈与した。結果的に不動産は夫婦の名前をつけた地域福祉施設として使っていただけることになったが、その前に家に残された遺品を整理する仕事があった。
2人暮らしだったが、30年以上同じ家に住み続けていたので、たくさんのものが残されていた。生前母がおばの家は収納スペースがたくさんあってうらやましいといっていたとおり、納戸、押入れ、天袋など収納スペースがたくさん在って、それぞれにものがぎっしりと詰め込まれていた。
お茶とお花の師範をしていたのでその関係の道具類、おじのゴルフの優勝のトロフィーや記念品、使われなかった漆器や陶磁器、たくさんの引き出物や香典返しや内祝いの品々、もちろん装身具、着物帯などなど。それぞれ高価な質のよいものばかりだが、思い出の記念の品はとっておくにしても、ほとんどのものは古道具屋さんに二束三文で引き取ってもらい、残りは福祉団体のバザーに寄付せざるを得なかった。私の祖母が末娘であるおばの結婚に当たって用意した紋付や訪問着や大島つむぎなどもほとんどそっくり残っていた。私がもう少し器用なら洋服に仕立て直したり、パッチワークに使ったり、いろいろ活用の方法があるだろうが、プロに頼むとかなり高価な割に着る機会は限られるので手放さざるを得なかった。
生前整理、覚悟のチェックポイント
この仕事はもったいないと惜しむ気持ち、申し訳ないと罪悪感に責められ、なかなかつらいものがあった。それぞれのものはおばにいとおしまれることでその役割を果たしたのだから、手放すことを申し訳ながることはないと思って自分を慰めたが、それでも憂鬱だった。
この経験から学んだことは以下の事である。
①自分が好きで使った「もの」は、他人には使い古してくたびれたガラクタにしかすぎない。
②自分の好みでないものは、どれだけ高価で質が高くともできるだけ早く、その品を気に入ってくれそうな人に贈ること。
③消耗品、ナマモノだけでなくタオルや食器や道具もモノには賞味期限があり、古くなると価値が落ちるので早く使う。
④思い出の品、由緒ある品は自分でそのいわれを次の世代に伝えないと、わからなくなる。
⑤高価でいいなと思うものも大切に収納しないでできるだけ使うこと。そのためにも収納場所は広すぎない方がよい。収納場所が少ないといや応なく処分せざるを得なくなる。
自分で生活できなくなる2~3年前、その時期を見極めるのは難しいが、メドとして平均寿命をすぎたら、今までの住居を引き払い、ケア付きの施設やバリアフリーの小さい住居に移り、それを機会に生前整理をするべきかな、と思う。
ばんどう まりこ
昭和女子大学学長。富山県生まれ。1969年東京大学卒業、総理府入省、青少年対策本部、婦人問題担当室、老人対策室、内閣総理大臣官房副参事、統計局消費統計課長などを経て男女共同参画室長。95年埼玉県副知事就任。ブリスベン総領事、内閣男女共同参画局長を経て、04年4月から昭和女子大学大学院教授、女性文化研究所長、05年昭和女子大学副学長、07年から現職。主な著書に『図説 世界の中の日本の暮らし』(大蔵省印刷局)『米国きゃりあうーまん事情』(東洋経済新報社)『女性の品格』『親の品格』『女性の幸福(仕事編)』(PHP新書)『錆びない生き方』(講談社)『日本人の美質』(ベスト新書)など多数。