平和下に思う死、時代小説家の山本一力さんの心境は如何に

生きるための杖

文=山本一力
作家

私の生前整理 2019年4月1日号より

死線を越えた
担任教諭の言葉

 人生でただひとつ確かなこと。それはだれもが、死に向かって歩いて行くことだ。
 これは池波正太郎さんが随筆や小説のなかで、繰り返し言っておられる至言である。
 死はだれにも例外なしにやってくる。しかし生の終焉の訪れ方は平等でも、規則的でもない。
 自殺でない限り、突然にやってくる。
 1948年2月生まれのわたしは、小学校入学は1954年だった。
 太平洋戦争の敗戦終結は1945年8月である。小学校の教諭は全員が、戦火を潜ってきたおとなたちだった。
 明日の夜明けを拝めるかは不明。
 そんな日々を送ってきた教諭が、戦争を知らないこどもたちに説いたこと……いま思い返しても、それは哲学的ですらあった。
 生きることの大事と、死はすぐ身近にあることの両サイドを熟知されていたからだろう。
 6年生の担任だった横田先生は、ミッドウエー海戦の数少ない生き残りだった。大多数の日本軍兵士が戦死した、悲惨な海上戦だった。
 生き残った横田先生は、次代を担うこどもたちに、常にひとつのことを説かれた。
「明日の日本は、おまえたちが築いてくれ。そして世界を相手にもう一度、日本が優秀なことを示してくれ。そのためにいま、学校でしっかり勉強してくれ」
 空襲のない教室で学べることの幸せを、身体の芯で実感してもらいたい。この言葉で話を結ばれた。 

平和という灯火の下で
〝死〟を覚悟して生きる

 当節はまるで違う。

「いい学校に進学し、いい会社に就職するために勉強しろ」
 理念ではなく現世御利益を尊ぶ。
 明日の夜明けはかならず見られると、意味のない確信を抱いた者の社会ゆえの現象だ。
 いまの時代、日本では火が遠くなっている。
 禁煙がかまびすしく叫ばれている昨今では、なおさら家庭からマッチはもちろん、ライターなどの点火道具が姿を消している。
 ガスに火をつけるのも点火スイッチを押すだけ。こどもが裸火をつけるとか、触れるという機会が失せてしまった。
 存在が遠くなれば「怖さ」と、対極の「敬い」を実感できなくなる。
「マッチ一本火事のもと」
 この標語を知るこどもは、もはや皆無ではなかろうか。
『死』も同じである。
 戦火のない平和が、すでに70年を過ぎた。が、平和に慣れてはならない。死は不意に襲いかかってくるからだ。
 毎日、死に向かって歩いている。
 この箴言を、わたしは今日も生きるための杖としている。

やまもと いちりき 
作家。1948 年高知県生まれ。都立世田谷工業高校卒業後、様々な職業を経て97 年に「蒼龍」で第77 回オール讀物新人賞を受賞。2000 年に初の単行本『損料屋喜八郎始末控え』(文藝春秋刊)を上梓、02 年に『あかね空』(文藝春秋刊)で第126回直木賞を受賞。『深川駕籠』『ジョン・マン』などのシリーズ作品や『大川わたり』『おたふく』『ずんずん!』『カズサビーチ』『サンライズ・サンセット』などのシリーズ外作品、『家族力』『明日は味方。ぼくの愉快な自転車操業人生論』などのエッセイ、『山本一力が語る池波正太郎』『ぼくらが惚れた時代小説』『芝浜 落語小説集』など多数の著書がある。

2019年4月1日 Vol.39より
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