死んでも死にきれない発酵学者・小泉武夫さん、その直前まで続く生前整理

発酵仮面の書き残し

文=小泉武夫
東京農業大学名誉教授
農学博士

私の生前整理 2019年7月1日号より

書き残したかった
二人の男の生き様

 実は今から五年ほど前から、俺は生前整理を始めていた。そのひとつが書き残しである。それは過去に出合った二人の男の生き様(ざま)が頭の中から消えずに残像していて、ぜひそれを文章で残しておきたかったからである。そうすれば、俺はいつ御陀仏になっても、そういう男の強烈な生き方もあったのだと読者に知らしめることができ、何もかも枠に填(は) められ、従順化された今の日本人に野性本能を目覚ませ、個性発揚を促せたかったのである。
 その男の一人は猪狩義政(いがりよしまさ)という猟師であった。阿武隈高地の八溝(やみぞ)山中でたった独り、猟犬クマと共に住んでいる野人で、電気もこない、水道も無い、風呂も無い、正に和製ターザンのような、あるいは和製デルス・ウザーラのような人物である。俺はこの男の生き方に興味を持ち、しばしば彼の大好物である粕取焼酎とムロアジのクサヤをリュックサックに詰め込んで訪ねたものである。そこで見た彼の命を懸けた自給自足の生き方を俺は具(つぶさ)に記録し、それを物語った(新潮社刊『猟師の肉は腐らない』)のである。そこから俺は、今の日本人の多くが何不自由なく飽食し、挙句食べ残しを捨てている実状を皮肉り、どうしても死ぬ前に八溝の義っしゃんの生き方を伝えておきたかったのである。
 二人めは鳥海五郎(とりうみごろう)という鮪捌(まぐろさば)き人のことである。彼は中学校を卒業し、集団就職で上京。築地の鮪仲卸屋に勤め、努力して誰もが一目置く市場一の捌き屋になった。そして定年すると、長い間密かに構想を抱いていた魚の粗(あら)だけを使った粗の専門料理屋を開き、大成功を納めるのである。この男の生き様も俺は死ぬ前に書き残しておきたいと思い物語りした(新潮社刊『骨まで愛して─粗屋五郎の築地物語─』)。捨てられる運命の粗から、何と二百品もの粗料理メニューを編み出し、客を唸(うな)らせるほど喜ばせたこの男の生き方をみて、捨てるものでも磨きをかければ金(きん)の輝きを閃めかすことができることを伝えたかったのである。

俺の生前整理は地球人
のために死の直前まで

 そして俺は今、頭の中に仕舞い込んでいてはどうしても死にきれないと思う次なる物語りを執筆中だ。それは、俺が大脳の中にインプットしている驚くべき食べもののつくり方を世に知らしめておくことなのである。例えば土が無くても水さえあれば、その水の中で思い通りの野菜や果物、茸(きのこ)などがつくれるという奇想天外な方法、さらには動物の脂(あぶら)を植物の油に変える方法など盛り沢山だ。
 おっと忘れていた。今や地球は異常気象とかであちこちでてんやわんやの騒ぎだ。こうなると、俺のような微生物学者が一番心配しているのはアーキアの出現だ。アーキアとは古細菌のことで、今から30億年も前に地球上で誕生した微生物で今でもじっと地球上の至るところに広く潜んでいる。120度の高温にも耐えられたり、超高濃度の放射能にも耐えられたり、濃硫酸の中でも生きられるという超能力を持った微生物である。そのアーキアが異常気象という地球環境の変化に適応して長い眠りから覚め始めたら注意しなければならない。アーキアの中には未知の病気を引き起すものもいないとは限らないからである。そのアーキアのことを俺は死ぬ前に多くの人に知識してもらいたくて、生前整理の一環として先般、一冊の本を世に出した(文藝春秋社刊『超能力微生物』文春新書)。俺はあと何年生きられるか知らないが、それまでの間、日本人のため地球人のためにさまざまなことを書き残していくつもりだ。つまり死の直前まで生前整理は続く。

こいずみ たけお 
1943年福島県の酒造家に生まれる。東京農業大学名誉教授。農学博士。専門は発酵学、醸造学、食文化論。特定非営利活動法人発酵文化推進機構理事長。現在、鹿児島大学、琉球大学、石川県立大学、福島大学の客員教授を務めるかたわら、全国地産地消推進協議会会長(農水省)など、農政アドバイザーとして、和食の魅力を広く伝えている。著書に『発酵は錬金術である』『漬け物大全 世界の発酵食品探訪記』など単著で143冊を数える。現在、日本経済新聞に食のエッセイ『食あれば楽あり』を26年にわたり連載中。

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