文=荻野アンナ
小説家、慶應義塾大学文学部教授
私の生前整理 2020年4月1日号より
片づけられない私
片付けられない女を自認している。子供の頃は、遊び散らかしたら、次の場所に移って、また遊び散らかす。後を追って片付けて回るのは母親だった。我慢の限界で、母は担任の教師に泣きついた。
「あまり厳しく言っても、お嬢さんの個性が伸びませんよ」
おかげさまで個性は伸びたが、苦手の整理は今も暗雲となって頭の上に垂れこめている。
一人っ子の私には配偶者も子供もいない。親戚との縁も薄い。溜まりきった本や服も、価値のあるものは無い。頓死したら誰かが犠牲者になって、全てを捨てるしかないだろう。
そんな私にも、かげがえのない宝物がある。母は江見絹子という名前で抽象画を描いていた。戦後の女流画家の草分け的な存在である。100号や200号の大作だけでも約百点、アトリエに残されている。
アトリエは私と同い歳だが、ブロック建築でびくともしない。居住部分は増築の際、母が壁の色から床材まで目を届かせて、いわば手塩にかけた作品となっている。家ごと美術館にしたい、と県立美術館に相談をした。
学芸員が来て、絵の保存状態をチェックしてくれた。素人の目にも明らかなヒビの入った作品がある。カビや汚れは、言われなければ気がつかなかった。
頑丈と見えたアトリエは、温度や湿度の管理がなされておらず、結露が顕著で、母が亡くなってからの数年で一挙に絵の劣化が進んでいた。
アトリエの再建を担う
2日がかりで、要修復の数点が絞り込まれ、修復研究所へと送り込まれた。残りの絵がアトリエから居住空間に避難したのは去年の冬のこと。せめて除湿機を使うようにとアドバイスを受けていた。
腰の重い私がホームセンターに出向いたときには梅雨が迫っていた。絵は2部屋に分散されている。2つの除湿機を作動させてからが大変だった。
私は実家から5分ほど離れたところに住んでいる。朝と晩、実家に赴いて溜まった水を捨てていた。帰宅が遅くなった夜には、タンクの水が溢れているのではと気が気ではなかった。
除湿機にホースを取り付ければ連続排水が可能だと、ようやく気づいた。部屋から風呂場までの距離を測り、ホースを購入した。部屋から廊下、脱衣所を経て風呂場の入り口までには、いくつかの段差がある。ホースの高さを一定にしないと逆流の恐れがある。本を何冊か積み上げた上にホースをガムテープで固定することを繰り返した。夏休みの宿題のような素人工作が功を奏した。冬の到来で除湿機をオフにして今に至る。
その間に設計は隈研吾氏と決まった。これにはあの世の母も喜んでいるはず。氏と江見絹子のコラボレーションを目指して、今年の秋にはアトリエの工事が始まる。それまで絵が息災であることを祈るのみだ。
おぎの あんな
小説家、慶應義塾大学文学部教授。1956年、神奈川県生まれ。91年「背負い水」で芥川賞を受賞。2002年『ホラ吹きアンリの冒険』で読売文学賞を受賞。08年『蟹と彼と私』で伊藤整文学賞を受賞。近著に『カシス川』。他の著作に『或る女』『電気作家』など。