萩原朔美のスマホ散歩
散歩は、街を一冊の本のように読むことだ。だから、スマホでの撮影は、読書感想を忘れないための、メモ書きみたいなものなのだ。この「スマホ散歩」を読んでくれた人が、それぞれの街を読書し始めたらとても嬉しい。何か楽しい風景に出会えることを願っている。
第12回 2021年4月28日
花火は、地上からだと平面の円だけど、上空から眺めれば球体だ。遊園地の観覧車を見ると、私はいつも巨大な花火を思い浮かべてしまう。
だから、観覧車を撮影しようとした時、上空からのアングルはどんな形状に見えるだろうかと思った。可笑しくなった。ただの一本の線にしかならないだろうからだ。
そこで私は、観覧車を真横から撮影して一本の縦線にしてみたのだ。なんとも愛想のない棒。発射台のロケットのような、梯子のような、どう見ても観覧車に見えない。そこが気に入って、以来縦線の観覧車を撮り続けている。
面白いと思うのだけど、家族には不評だ。可愛くないし、意味もないと言う。意味はない。チエホフの「3人姉妹」のセリフにあるじゃない。
マーシャ「それでも何か意味があるのでは」
トゥーゼンバッハ「意味?・・・ほら雪が降っている。どんな意味があります?」
意味がないのに面白いと思うことで、人生は出来ている。
はぎわら さくみ
エッセイスト、映像作家、演出家、多摩美術大学名誉教授。1946年東京生まれ。祖父は詩人・萩原朔太郎、母は作家・萩原葉子。67年から70年まで、寺山修司主宰の演劇実験室・天井桟敷に在籍。76年「月刊ビックリハウス」創刊、編集長になる。主な著書に『思い出のなかの寺山修司』、『死んだら何を書いてもいいわ 母・萩原葉子との百八十六日』など多数。現在、萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち 前橋文学館の館長を務める。