箱根彩彩 2018年10月1日号より
文=杉山慎吾
九頭龍神の采配か、
〝芦ノ湖の雲海〟
家業の旅館がある箱根に戻って九年、幼少の頃とあわせると箱根で過ごした時間も三十年にもなるが、迷ったあげくの本欄執筆。急に騒ぎ出した箱根人の血が赴くままにいつか伝えたいと思っていた〝芦ノ湖の雲海〟を書いてみることに。
富士山や兵庫の竹田城跡の雲海は知られているが、箱根でもそれに匹敵する(と自負する)雲海に出合えることはあまり知られていません。ちなみに箱根一の雲海好きを自認する私は、常に雲海を見ていたいという欲求から、その発生を記録するだけの観察カメラを旅館の中に設置するほど(おかげで早起きをせずして雲海を観賞できます ( 笑 ) )です。
雲海発生のメカニズムは文系の私にはとても難解で、何度も懇意の気象予報士の先生に伺うも会得できずじまい。前夜、芦ノ湖周辺と箱根峠あたりの気温に逆転現象があることや適切な湿度、当朝は晴れて無風であることなどのいくつかの条件が重ならないと雲海は見ることができませんが、昨年は当館の客室から確認できただけでも約四十回も発生しています。時間は朝の五時から七時ごろが大半で、長いときには二時間も至福の時を愉しめます。雲がうねり、流れていく幻想的な様は、芦ノ湖の守り神、九頭龍神の御心がそうさせているかのようで、地元の先人たちも尊び伝承してきた箱根人の秘かな誇りでもあります。
観賞場所としては大観山、箱根峠から芦ノ湖に向かう車中、さかさ富士別荘地、湖尻峠といった芦ノ湖からほんの少し上ったあたりが最適です。しかも早朝であるため、せっかくお越しいただく方々のため(当館に泊まれば「布団を出る」→「窓から覗く」→「布団に戻る」だけで大丈夫)にも「明朝は雲海が出るか」の予報を公開することが私の夢で、前出の気象予報士の方と画策しています。
古から旅人を 癒してきた場所、風景
〝表二子に裏四ツ子〟とは、箱根にある「二子山」を称した昔から伝わる言葉です。表(江戸の方面から見て)からは二子だが、西(芦ノ湖側)からは四ツ子に見えるという意で、 箱根人にとっては「なぜこちらが裏なの…?」という思いはありますが、それはさておき、とっておきの場所を もうひとつ。
先日、日本遺産に登録された旧東海道「箱根八里」の山中「お玉が池」(甘酒茶屋から元箱根方面へ徒歩約十五分)は箱根人が大好きな風景で、石畳の杉木立を抜け、眼前に広がる二子山の大パノラマは、江戸の頃から天下の険を越える旅人を癒してきた場所です。特に紅葉の秋には、四つの柔らかなアーチがかった山の頂に未開の山らしく色とりどりの広葉樹が愉しめます。さらにその姿が「お玉が池」に映る様は、四ツ子どころか八ツ子の絶景で、〝インスタ映え〟 する奇跡の一枚が撮れるのでは?
書き進めてみると「九頭龍の森の紅葉」「箱根大名行列」(十一月)、「芦ノ湖冬景色花火大会」(十二月・一月・ 二月)等々、お伝えしたいことが山ほどあります。箱根は奥が深いと箱根人でもあらためて思うものです。
すぎやま しんご
1979年生まれ、箱根町出身。 東洋大学卒業後、現(株)ミリアルリゾートホテルズ入社。ディズニーホテル勤務後、2009年に帰町し、現在、実家である旅館「和心亭豊月」を営む。