箱根登山鉄道、運転再開までの苦闘

Topic Interview


箱根湯本管区 管区長(駅長)

出縄 正さん

箱根湯本─強羅間を走る箱根登山電車の開通は1919年。昨年100年を迎えるという区切りの年だった。しかし、皮肉にもその年に100年に一度といっていいような大型の台風19号に見舞われ甚大な被害を受ける。20数か所に落石や倒木、特に、蛇骨陸橋付近や、大平台遂道(トンネル)付近は線路が寸断され、箱根湯本~強羅は不通となった。当初復旧は2020年秋と発表されたが、工事関係者はもちろん付近住民の理解と協力で全線開通は7月下旬に前倒しされ、5月11日からは試運転も始まった。箱根登山電車の中心駅箱根湯本駅駅長であり現場のリーダーである出縄正管区長(箱根湯本駅長)に現在の心境を伺った。
インタビュー:2020年6月5日

「線路がない」という報せ

―― 昨年の10月12日、台風19号が直撃した様子を時系列でお話しください。

出縄 10月12日の当日、大きな台風が来るのは分かっていましたので、私も箱根湯本の駅舎に泊まり込むつもりで出社しました。昼頃には電車がすべてストップし、駅へいらっしゃるお客様への案内をしたり、他の職員とともに駅舎にどこか異常がないかなど巡回していました。首都圏の電車が計画運休に入り、箱根へ来られるお客様はほとんどおらず、時折、誰もいないホームや駅前へ出て、被害状況の写真を撮りました。ちょうど駅の正面に走る国道一号線に沿う早川は、普段は穏やかな流れですが、その日は激しい濁流となって、橋が流されてしまいそうな勢いでした。とにかく外に出れば30秒でずぶ濡れになってしまうのですから。

── 聞きしに勝る台風でした。

出縄 運転指令所というのがありますので常に連絡を取り、また各駅のカメラ映像を私の端末でも見ながら各駅や施設をチェックしていました。カメラ映像で国道一号線と交わる小涌谷踏切を見ると、国道の上の方から大量の雨水が川のようになって踏切に流れる込む状況が映し出され、これはただごとではないぞ、と。暗くなりはじめる頃には、その勢いは川の流れどころではなかったです。夜の7時半頃から9時頃は暴風雨が一番強くなりましたが、この駅の構内、エスカレーター付近にも水が吹き込んできて、1時間半くらいかけてかきだしたりしました。台風がようやく去って穏やかになった頃仮眠し、目覚めてしばらくすると、「線路がない」と。線路が流されてなくなってしまったという大変な報せが入りました。

台風直後の大沢橋橋梁附近
復旧工事の進んだ大沢橋梁
蛇骨陸橋附近の被害現場
線路も復旧し試運転が始まった

─― まさか流されるとは思っていなかったでしょう。

出縄 はい、これでは当分電車が動かない、どう見積もっても1年間は電車が動かないだろうと思いました。瞬時に思ったのは、もうすぐ行楽のシーズンで、平日でもお客様が多くいらっしゃるのにどう対応しようかということです。これからの時期どういう移動手段があるか。間違いなくバスでの代替輸送になると思いましたが、私自身こちらの駅長になる前まで系列の箱根登山バスに勤務していたので、内情はある程度分かっていました。すぐには対応できないだろうと。当然鉄道とバスでは輸送量が違いますし、その後は箱根駅伝もありますから、これからどう対応していくか、非常に大変な1年になるだろうと思いました。

─― 瞬間から覚悟したのですね。

出縄 楽しみに箱根にいらっしゃるお客様が最初に降り立つのは箱根湯本駅です。通常なら登山電車に乗って強羅にあがり、ケーブルカーに乗り、そのあとロープウエーで桃源台から芦ノ湖へ行き海賊船に乗る。その最初の一歩で途絶えてしまう、お客様に申し訳ないということが頭をよぎりました。もう一つは、従業員をどう回していくかということです。時間ごとに人を割り振る作業シフトを変えなければいけない。駅本来の業務を行いながら、そこに、これまではなかった代替バスの対応が加わります。そうした業務全般の流れを根本から組み立てないといけませんが、それは誰に言われるともなく私の意を汲んだ部下たちが、危機感と使命感にかられて必死の思いでやってくれました。

— バスへの移行はスムーズに進みましたか。

出縄 箱根の国道に水が出て、車が通行できない箇所もあり、強羅までバスを走らせるとなると、国や県の許可が必要で、10月17日に片側通行でようやく強羅までバスが通行できるようになりました。実質13日~16日までの4日間は陸の孤島だったのです。早い広報や報道で箱根は大変だということが知られていましたので、それほど混乱はなかったのですが、その後被災のことを知らないお客様がいらっしゃって、電車は走っていない、バスも簡単に手配が付かず、次は何時にくるかわからない状態。バスは公道を走るので電車のようにダイヤ通りに走れません。そうした事情でお客様をお待たせしてしまったのは申し訳ない気持ちで一杯でしたし、自分たちの力ではどうにもならないもどかしさを痛感しました。

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