プロマイドで綴るわが心の昭和アイドル&スター
企画協力・写真提供:マルベル堂
大スター、名俳優ということで語られることがない人たちかもしれないが、
青春の日々に密かに胸をこがし、心をときめかせた私だけのアイドルやスターたちがいる。
今でも当時の映画を観たり、歌声を聴くと、憧れの俳優や歌手たちの面影が浮かび、懐かしい青春の日々がよみがえる。
プロマイドの中で永遠に輝き続ける昭和の〝わが青春のアイドル〟たちよ、今ひとたび。
※プロマイドの老舗・マルベル堂では、原紙をブロマイド、写真にした製品を「プロマイド」と呼称しています。ここではマルベル堂に準じてプロマイドと呼ぶことにします。
1960年、日活が浅丘ルリ子に次ぐ青春スターとして売り出したのが、笹森礼子だった。大きなつぶらな瞳がどこか、浅丘ルリ子に似ている。スクリーンデビューは、石原慎太郎の同名小説を石原裕次郎主演で映画化した舛田利雄監督の青春映画『青年の樹』で、芦川いづみ、北原三枝も出演している。当時のポスターを見ると、新人ながら笹森礼子の名前も載っており、日活も彼女に力を入れていたことがわかる。ちなみに本作は77年には三浦友和主演で再映画化されている。
当時の日活女優たちの多くが、石原裕次郎や小林旭といった男性スターたち主演のアクション路線映画の相手役的な存在であったように、笹森礼子もまた、小林旭や宍戸錠主演の映画に、清純派のイメージで、主人公の恋人役や妹役で可憐な姿を見せていた。笹森礼子の主演映画の記憶がないが、スクリーンでの笹森礼子の輝きは今でも記憶に刻まれる。
特に、トニーこと赤木圭一郎との共演作でのヒロイン像が印象に残っている。未完の『激流に生きる男』も含めると8本の共演作がある。笹森がデビューした60年だけでも、『拳銃無頼帖 不敵に笑う男』『海の情事に賭けろ』『幌馬車は行く』『錆びた鎖』『拳銃無頼帖 明日なき男』と5本も共演しており、61年にも2月にトニーが亡くなる直前まで『俺の血が騒ぐ』『紅の拳銃』で共演し、トニーの相手役といえば笹森礼子という印象を強く残した。トニーと笹森は、神奈川県藤沢の湘南学園小学校で1学年違いの同窓生で、相性が良かったのかもしれない。トニーにとっても笹森礼子は気を許せる相手役だったのだろう。「平凡」だったか、当時の芸能雑誌の企画で2人そろって母校を訪ねるという企画を思い出した。
そのほかの映画では、石坂洋次郎の小説を吉永小百合主演で映画化した『雨の中に消えて』で、吉永の同郷の先輩で東京で同居する出版社勤務のOL役も楽しかったが、この10月にCSの日本映画専門チャンネルで放送された、60年代の大ヒットドラマ「七人の刑事」の映画版の1作『七人の刑事 終着駅の女』に、笹森礼子を発見したのは嬉しかった。
65年に結婚と同時に引退し、約6年という短い女優生活だったが、笹森礼子もまた、昭和の映画館に咲いた一輪の花であった。その後、石坂浩二と浅丘ルリ子の結婚式に出席した折の写真が週刊誌で紹介されていたが、マスコミの前に顔を出したのは、そのときが最後だろうか。
文:渋村 徹(フリーエディター)
マルベル堂
大正10年(1921)、浅草・新仲見世通りにプロマイド店として開業したマルベル堂。2021年には創業100年を迎えた。ちなみにマルベル堂のプロマイド第一号は、松竹蒲田のスター女優だった栗島すみ子。昭和のプロマイド全盛期には、マルベル堂のプロマイド売上ランキングが、スターの人気度を知る一つの目安になっていた。撮影したスターは、俳優、歌手、噺家、スポーツ選手まで2,500名以上。現在保有しているプロマイドの版数は85,000版を超えるという。ファンの目線を何よりも大切にし、スターに正面から照明を当て、カメラ目線で撮られた、いわゆる〝マルベルポーズ〟がプロマイドの定番になっている。現在も変わらず新仲見世通りでプロマイドの販売が続けられている。
マルベル堂 スタジオ
家族写真や成人式の写真に遺影撮影など、マルベル堂では一般の方々の専用スタジオでのプロマイド撮影も受けている。特に人気なのが<マルベル80’S>で、70~80年代風のアイドル衣装や懐かしのファッションで、胸キュンもののアイドルポーズでの撮影が体験できるというもの。プロマイドの王道をマルベル堂が演出してくれる。
〔住〕台東区雷門1-14-6黒澤ビル3F
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