2011年4月1日号「街へ出よう」より
実は、大都会・東京は緑の多い街である。
神宮の森、新宿御苑、日比谷公園、上野公園などなどいずれも都心部にある大きな緑のスポットである。
都心部にあるということは、人々の日常に公園が存在しているということだ。
都会に暮らす人々は緑の恩恵にあずかり、さらには災害安全の重要な拠点にもなっている。
人工庭園それぞれの美しさを鑑賞できる都心の公園。
そこまできている春に誘われて、風薫る初夏の緑を求めて明日の午後はちょっと公園に出かけてみませんか。
都市公園の魅力
~ ビル群にたたずむ緑の森~
文・太田 和彦
人工楽園の中で際立つ自然木の美しさ
幼少年時代を信州の山奥で育った。
信州の山の中は緑だらけだ。早春の山は白く霞んだ緑が次第に淡い黄緑に変わり、五月の若い緑、初夏の滴るような緑、夏の力強い緑、夏の終わりの黒みを増した緑と、刻々と変化してゆく。その真っただ中の山川を走り回り、テントでキャンプをした。
十八歳から東京に住むようになった。大自然に恵まれた信州のようなところで育ったのなら、東京は緑は少ないでしょうと言われたが、そうは思わず、日比谷公園、上野公園、新宿御苑、神宮外苑など、東京は緑の公園の多いところと感じた。
日比谷公園の噴水や野外音楽堂と、梢高い樹々の調和。上野公園の大噴水を囲む森。その向うの美術館。新宿御苑の西洋式庭園に配置された樹々の造形美。神宮外苑絵画館前の銀杏並木の整然たる美しさなど、計画された都市公園の緑は、自然のままの緑とはちがう魅力がある。私は特に並木を好きになった。土手の桜並木は信州にもいくらでもあったが、ビルを背にした並木の美しさは私を魅了し、都会のもっとも良いところと思うようになった。
信州の自然は、並木も、配置された植栽も、建築物との調和も全くなく、ただ木が生えているだけだ。自然を人工的に取り込んだ都市公園は、自然育ちの私に自然の美しさを教えた。
これは逆説だろうか。緑の中では緑に気づくことはない。「木を見て森を見ない」と言うが「森を見て木を見ない」でいた私は、一本の樹の美しさを都会の公園で知った。さらに手入れされた芝や遊歩道、鉄柵、ベンチ、噴水、小公会堂などと併置して自然木の美しさが際立つことも。
後年、フランスやドイツで都市公園や王宮の広大な庭園を見て、その感は一層深まった。森閑とした森の奥深くひっそりと立つ彫刻、音楽堂、幾何学的造形の噴水など人工楽園の創造に樹々は欠かせない。
都市公園はクラシックをもって良しとする
東京に住んで都市公園に興味を持った私は、家を越すたびに近所の公園を歩いた。
最初の千駄ヶ谷時代は、神宮外苑の絵画館周辺を毎日のように散歩した。戦前の様式的な建物と計画配置された樹々の造園計画は美しく成熟し、東京一と思う。
勤め先は銀座で、昼休みは日比谷公園に行った。日本最初の西洋式庭園のクラシックなたたずまいから見る帝国劇場や帝国ホテルは、戦前の東京をしのばせた。
住いが六本木に変わると有栖川公園が近くなった。有栖川宮熾仁親王の騎馬像は古い東京の公園らしく、公園にほしいものは偉人の銅像と思うようになった。ちなみに現代彫刻(裸婦とかオブジェとか)は全くふさわしくなく、都市公園はクラシックをもって良しとする。
今住んでいるところは白金自然教育園が近く、時々コンビニのおにぎりを持って行く。人工物を排して武蔵野の自然のありのままを残し、倒木や沼がそのままの風景はほっとする。とはいえ信州の大自然にくらべればまことに穏やかだが、やはり気持ちは落ちつく。ここで食べるおにぎりはおいしい。
もう一つ近くの池田山公園は、旧岡山藩池田家の屋敷の庭で、高低差のある日本庭園が楽しめる。日本の公園は、墨田区の清澄庭園も、日本三大庭園(水戸偕楽園・金沢兼六園・岡山後楽園)も、旧大名家や宮家の庭を開放した日本庭園が多い。
自然を人工的に取り込んで支配する西洋庭園、自然に溶け込ませるように浄土を作る日本庭園。どちらも自然を人為で操作した楽園の創造であることは同じだ。信州の山を知る人には、こういう手入れをした自然は嫌でしょうと言われるが、そんなことはない。いやむしろ好きで、あちこちに行けば公園は必ず行く。自然の美しさを強調するのは芸術的行為でもある、と構えなくても、山奥に育った身には今もって新鮮なのかもしれない。
しかしなにもしていない天然の自然はもちろんすばらしい。今でも山を歩き、テントで一晩を過ごして野生の息吹を感じるのは替えがたい大切なものだ。