2016年7月1日号「街へ出よう」より
東京には、今に残る「名園」が数多い。
都心のオアシスともいえるが、往時、大名も町人も、庭園に文化の風雅をたくして愉しんでいた、そのよすがを見ることができる。
由緒正しき名園に佇めば、江戸文化の華がひらいた時代の平和と、今の平和のありがたさに思いが至る。
庭園は江戸文化の華
~和歌になぞらえた名園あり、江戸庶民の行楽の場あり~
文・太田和彦
文芸に造詣が深かった吉保、面目躍如の築園
風薫る初夏、江戸の風を浴びに庭園を訪ねてみよう。
駒込の「六義園」は、元禄十五(1702)年、柳沢吉保が築園した、池をめぐる路を歩きながら移り変わる景色を楽しむ大規模な「回遊式築山泉水庭」だ。文芸に造詣の深かった吉保は、紀州和歌浦や、万葉集、古今和歌集から選んだ八十八景を庭に写し出し、中国の「詩の六義=賦・比・興・風・雅・頌」にならった「和歌の六体=そえ歌・かぞえ歌・なずらえ歌・たとえ歌・ただごと歌・いわい歌」から「六義園」と名づけた。
門を一歩くぐると、緑、緑、緑。湿り気をおびた青苔から、若葉あふれる潅木、天を仰ぐ巨樹までまさに新緑浴そのものに、思わず手を上げて深呼吸する。
踏みしめる小砂利は足裏にここちよく、曲がり分かれる小径は、さてどちらに行こうかと迷うのもおもしろい。
池に浮かぶ「中の島」の「妹山・背山」は、紀州和歌浦の「妹背山」にならう。「妹」は女、「背」は男。
『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』は浄瑠璃の名曲。解説版にあげた歌は色っぽい。
いもせ山中に生たる玉ざゝの一夜のへだてさもぞ露けき
その先の「芦辺」解説に山部赤人が紀州和歌浦の芦辺を詠んだ歌が載る。
若の浦に潮満ちくれば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る
隣は平たい巨石を二枚つないだ「渡月橋」で、名は赤人歌の本歌取りからつけられた。
和歌のうら芦辺の田鶴の鳴声に夜わたる月の影ぞさびしき
さらに「出汐湊」の解説にも、
和歌の浦に月の出汐のさすままによるなくたづのこゑぞさびしき
「浦」「月」「鶴」、同巧であれど詠みたくなるのだろう。