—老体からは逃げられない。でも笑い飛ばすことは出来る—
萩原 朔美さんは1946年生まれ、11月14日で紛れもなく77歳を迎えた。喜寿、なのである。本誌「スマホ散歩」でお馴染みだが、歴としたアーチストであり、映像作家であり、演出家であり、学校の先生もやり、前橋文学館の館長であり、時として俳優にもなるエッセイストなのである。多能にして多才のサクミさんの喜寿からの日常をご報告いただく、連載エッセイ。同輩たちよ、ぼーッとしちゃいられません!
連載 第1回 キジュからの現場報告
若い頃思い描いた自分の老後生活は、毎日まったりした変化の乏しい、平日の海岸みたいな感じではないかとイメージしていた。盆栽はやらないだろう。ゲートボールもやらない。碁会所、生涯学習センター、老人会館なんて行くわけない。きっと、なにか暇つぶしになることを見つけているに違いない。見つけて欲しい。そう願っていた。
身体はこのままの状態から少し動きが悪くなるイメージだった。健康とは身体を忘れる事だって言うけど、若さとは、病気の時以外身体の事など考えてもいない状態だ。老体など夢の中にも存在していなかった。
ところがどっこい喜寿になったら、見ると聞くとは大違い。(笑)自分という車の運転は赤ちゃんから老人までずっと初心者マークだから仕方ないけれど、ポンコツ車の運転にはかなりのテクニックが必要なのだ。
私、今や病気自慢しか自慢する事が見つからない。(笑)
左目加齢黄斑変性で見えない。
外反母趾で右足痛い。
両手とも腱鞘炎でペットボトルの蓋開けるのさえ難行。
耳鳴りが四六時中サイレンのように頭を駆け巡って近所に火事発生でうるさい。
前立腺癌を削除したんで、男の機能が完全になくなった。
さらに、再発防止のために半年に一度女性ホルモンを腹部に注射するから、その影響で1日に何度もホットフラッシュ発生。汗が身体中を駆け巡る。
数ヶ月前からは、前立腺癌の再発数値が高くなったんで、新薬を投与。この副作用が曲者。息は切れるは、疲れるは、鬱のように襲いかかる不快感。全く毎日が我が身体との格闘に次ぐ格闘。
そんな身体と付き合いながら、楽しい事を探し続ける怒涛の日々。今日を退屈したら、未来を退屈すること。そう言い聞かせる毎日。
しかし、未来なんてあるの? だけどね。(笑)そんな喜寿の日々を、笑いと涙で報告いたします。
はぎわら さくみ
エッセイスト、映像作家、演出家、多摩美術大学名誉教授。1946年東京生まれ。祖父は詩人・萩原朔太郎、母は作家・萩原葉子。67年から70年まで、寺山修司主宰の演劇実験室・天井桟敷に在籍。76年「月刊ビックリハウス」創刊、編集長になる。主な著書に『思い出のなかの寺山修司』、『死んだら何を書いてもいいわ 母・萩原葉子との百八十六日』など多数。現在、萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち 前橋文学館の館長、金沢美術工芸大学客員教授、前橋市文化活動戦略顧問を務める。2022年に、版画、写真、アーティストブックなどほぼ全ての作品が世田谷美術館に収蔵された。