—老体からは逃げられない。でも笑い飛ばすことは出来る—
萩原 朔美さんは1946年生まれ、11月14日で紛れもなく77歳を迎えた。喜寿、なのである。本誌「スマホ散歩」でお馴染みだが、歴としたアーチストであり、映像作家であり、演出家であり、学校の先生もやり、前橋文学館の館長であり、時として俳優にもなるエッセイストなのである。多能にして多才のサクミさんの喜寿からの日常をご報告いただく、連載エッセイ。同輩たちよ、ぼーッとしちゃいられません!
連載 第3回 キジュからの現場報告
あれっ、文字が消えた!
10年前、本を読んでいたら、活字に濃い霧が舞い降りた。おかしいなぁと思って左眼を閉じてみた。綺麗に見える。右目を閉じた。なんと、本も、持っている手も、、消えた。世界の中心部がボケて抜け落ちてしまっているのだ。なんだこれは!で、病院に行った。
検査すると、
「うちでは何も出来ないので、大学病院を紹介します」
だった。
大学病院は、老人の大集会場だった。眼科は待機する椅子が満杯。凄いことになっている。座ってハッと気がついた。私も老人ではないか!(笑)
病名は「加齢黄斑変性」。病名に加齢が付くとは情け無い。(笑)まだ治療法は無し。目の奥に薬を注射して進行を遅くする方法があると言う。(この、針を眼球の奥に刺す施術は、怖くて毎回胃腸が縮み上がった!)
「右目も同じようになる可能性あるんですか」
聞くと、かなり高い数字が返ってきた。やばっ!
すぐに、映像作品を作ろうと思った。文字を書くのはたとえ両目がダメになっても口述筆記がある。映像は難しい。直ぐに撮影しよう。さて何を。
考えはじめて、笑いたくなった。自分が学生に日頃から言ってきた事を思い出したからだ。「自分の日常は全て表現のネタ」。そうだよなあ、である。
今こそ実行。チャンス到来だ。さっそく片目になった事をテーマに撮影を開始した。
結局3本も作ってしまった。映画のカメラは、1本のレンズで撮影する。片目である。私が長年使っていたアナログカメラも一眼レフだった。二眼レフは使った事が無かった。片目が世界の映像の歴史を創造してきたのだ。テーマだけは壮大なものになったのである。(笑)
はぎわら さくみ
エッセイスト、映像作家、演出家、多摩美術大学名誉教授。1946年東京生まれ。祖父は詩人・萩原朔太郎、母は作家・萩原葉子。67年から70年まで、寺山修司主宰の演劇実験室・天井桟敷に在籍。76年「月刊ビックリハウス」創刊、編集長になる。主な著書に『思い出のなかの寺山修司』、『死んだら何を書いてもいいわ 母・萩原葉子との百八十六日』など多数。現在、萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち 前橋文学館の館長、金沢美術工芸大学客員教授、前橋市文化活動戦略顧問を務める。2022年に、版画、写真、アーティストブックなどほぼ全ての作品が世田谷美術館に収蔵された。 2022年に、版画、写真、アーティストブックなどほぼ全ての作品が世田谷美術館に収蔵された。