21.05.28 update

第3回 成城を愛した〝世界のミフネ〟Vol.2

1932年、東宝の前身であるP.C.L.(写真化学研究所)が
成城に撮影用の大ステージを建設し、東宝撮影所、砧撮影所などと呼ばれた。
以来、成城の地には映画監督や、スター俳優たちが居を構えるようになり、
昭和の成城の街はさしずめ日本のビバリーヒルズといった様相を呈していた。
街を歩けば、三船敏郎がゴムぞうりで散歩していたり、
自転車に乗った司葉子に遭遇するのも日常のスケッチだった。
成城に住んだキラ星のごとき映画人たちのとっておきのエピソード、
成城のあの場所、この場所で撮影された映画の数々をご紹介しながら
あの輝きにあふれた昭和の銀幕散歩へと出かけるとしましょう。

 成城に住み始めた三船敏郎が頼りにしたのは、『銀嶺の果て』(47年)や『酔いどれ天使』(48年)で共演した志村喬であった。
「成城町777番」の家を持つ前、1950年1月5日に予定される結婚式が待ちきれない三船は、志村の世話により、満鉄病院の院長だったU氏の洋館(斜向かいの746番地)の一室を間借りし、新婚生活を始める。このとき部屋に風呂はなく、北に歩いてすぐの志村邸から、夫人の政子さんが「三船ちゃん、お風呂が沸いたわよ」と呼びに来てくれるほどの親密な付き合いをしていた両家。政子夫人は、のちに三船が夫人と離婚裁判を繰り広げたときも、死の淵にあったときも、常に三船の傍らにいて優しく見守ってくれた人である。
  長男の史郎さんは、三船が「志村のおじちゃん、おばちゃん」と呼ぶので、夫妻を本当の親戚だと思っていたという。
 すぐに「777番」の小さめの一軒家を自邸とした三船は、やがてU氏の豪邸と交換して、生涯、成城に住み続けることとなる。

成城町746番の三船邸。右端がガレージで、この二階には三船の秘密の稽古場があった(写真提供:三船プロダクション)

 今ではすっかり有名となった「黒澤のバカヤロー」事件(酔った三船が車で黒澤邸の周りを回り、「出てこい、バカヤロー!」と怒鳴る)だが、三船プロの田中寿一氏(当時の腹心)は、「バカヤロー」呼ばわりは稲垣浩のほうが先だった、と語る。巨匠の稲垣はしばしば台詞を変更することで知られ、台本を丸暗記して撮影に臨む三船には、酷い仕打ちと映ったのであろう。
 稲垣邸襲撃は、三船が和製シラノ・ド・ベルジュラックに扮した『或る剣豪の生涯』(59年)の撮影時にも発生。シラノ役なのだから当然なのだが、自分の台詞が異常に多いのを不満に思った三船は、歩いても数分のところにある稲垣邸(成城七丁目)の周りを車で十回ほど回り、エンジンをふかしては去っていったという。これは夜中にトイレに立った稲垣自身が目撃したものなので、真実の出来事に違いない。
「黒澤のバカヤロー」発言は、三船が珍しく現場に5分ほど遅刻し、苦言を呈されたときが起源だったとされる。しかし、心の底からそう叫びたくなったのは、『蜘蛛巣城』(57年)のラストシーン撮影の折のこと。CGなど夢のまた夢であったこの時代、6メートルの至近距離から本当に矢の雨を浴びせられる場面(註1)では、とてつもない恐怖を覚えたのであろう、三船は「毎晩B‐29が自分めがけて突っ込んでくる夢」を見る。なにせ矢を射っていたのは、指揮を執る専門家数名の他は、ほとんどが成城大学弓道部の学生たち(註2)。これでは、酒で恐怖を紛らせる三船が夜な夜な狛江の黒澤邸を襲うことになったのも無理はない。
 撮影中の宿で三船の怒声を聞いた俳優は司葉子、夏木陽介、加山雄三と枚挙に暇がなく、新築祝い中の俳優・田崎潤邸(成城二丁目)前で猟銃を数発ぶっ放したという驚きの逸話(俳優・土屋嘉男による)もあるほど。最近では、『太平洋の地獄』(68年)のパラオ・ロケの際、宿となった船室の窓から夜な夜なライフル銃を撃っていたとの証言(録音技師・瀬川徹夫氏談)も得ている。千歳船橋に住む森繁久彌とは、誘い合ってよく霞ヶ浦に鴨撃ちに出かけていた(子息・森繫建氏談)とのことだから、三船にとって銃は手軽なストレス発散の手段だったのかもしれない。

自宅でくつろぐ三船(写真提供:三船プロダクション)

 そんな三船だが、成城の住民には優しい一面を見せている。
 撮影所近くの明正小学校に通う小学生が、走り去るMG-TDから落下したナンバープレートを撮影所の守衛に届けると、三船はすぐに大量の文房具をプレゼント。

また、大雪の朝、三船がジープで史郎さんが乗る橇を引いているのを見た近所の子供たちが雪玉を投げつける(註3)と、怒るどころか「お前も投げ返したらどうだ!?」と逆に史郎さんを発奮させたりした逸話からは、三船の子供たちへの優しさが滲む。
 やはり成城住まいのK氏は、子供時代に、引っ越してきたばかりの祖母がガレージにいた三船にいきなり話しかけたときの光景を、今でも忘れないと語る。見ず知らずの者からの突然の接触にもかかわらず、無視するどころか気さくに応じてくれた三船の‶大人の対応〟に、K氏は子供ながらも非常に感激したという(註4)。
 さらなる三船の成城ストーリーは、次回で(この項続く)。   

(註1)無数の矢を射られる城内のセットが設けられたのは、大蔵の高台にあった‶農場オープン〟という東宝のセット用地。当オープンには『七人の侍』の町をはじめとして、『隠し砦の三悪人』の秋月城、『用心棒』の馬目の宿、『椿三十郎』の城下町、『赤ひげ』の小石川養生所や江戸の町など,様々なセットが組まれた。

(註2)殿堂入り式典に合わせて、チャイニーズシアターで上映されたドキュメンタリー『MIFUNE THE LAST SAMURAI』で聖林の観客が大きくどよめいたのは、矢の射手が大学生であったことと、三船が『SW』のオファーを断ったことが紹介されたときの二度。

(註3)子供らが史郎さんに雪玉を投げつけたのは、三船邸をまっすぐ南に下った丹下健三邸(建築家/成城六丁目)の築山の上から。子供の中には、この正面に家があった日本民俗学の権威K・Yの孫に当たるH氏もいた。

(註4)K氏は、祖母と三船が「男は黙ってサッポロビール」の話で盛り上がっていたことと、ガレージ内にベージュのMG-TDとロールスロイスがあったことをよく憶えているという。

たかだ まさひこ
1955年1月、山形市生まれ。生家が東宝封切館「山形宝塚劇場」の株主だったことから、幼少時より東宝映画に親しむ。黒澤映画、クレージー映画には特に熱中。三船敏郎と植木等、ゴジラが三大アイドルとなる。大学は東宝撮影所に近い成城大を選択、卒業後は成城学園に勤務しながら、東宝を中心とした日本映画研究を続ける。現在は、成城近辺の「ロケ地巡りツアー」講師や映画文筆を中心に活動。『七人の侍』など、日本映画のテーマ曲を新録したCD『風姿〜忘れがたき男たち』(ラッツパック・レコード:5月発売)では作品・楽曲紹介を担当。近著として、『今だから! 植木等』(今夏発刊予定)を準備中。

映画は死なず

新着記事

  • 2024.10.10
    森美術館「ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰って来...

    応募〆切:10月31日(木)

  • 2024.10.10
    戦後日本映画界に颯爽と現れるや時代のヒーローとして...

    石原裕次郎「赤いハンカチ」

  • 2024.10.09
    都会の喧騒に佇むゲストハウスに集う人々の心温まるヒ...

    応募〆切:11月5日(火)

  • 2024.10.09
    10月14日の「鉄道の日」をはさんで、海老名のロマ...

    10月9日(水)~11月18日(月)

  • 2024.10.09
    女優・高峰秀子生誕100年、ウェディングドレス姿が...

    10月5日(土)~1月13日(月・祝)

  • 2024.10.08
    釈放当日─世紀の瞬間の舞台裏を撮った、1台のカメラ...

    応募〆切:10月20日(日)

  • 2024.10.08
    東京ステーションギャラリー「テレンス・コンラン モ...

    応募〆切: 10月31日(木)

  • 2024.10.08
    秋バラが間もなく見ごろを迎える「谷津バラ園」 谷...

    京成電車下町さんぽ「谷津」

  • 2024.10.07
    「世界の持続可能な観光地TOP 100選」第1位の...

    箱根彩彩

  • 2024.10.03
    令和の今もコーラスで親しまれるH2Oが昭和58年リ...

    H2O「想い出がいっぱい」

特集 special feature 

わだばゴッホになる ! 板画家・棟方志功の  「芸業」

特集 わだばゴッホになる ! 板画家・棟方志功の 「芸業...

棟方志功の誤解 文=榎本了壱

VIVA! CINEMA 愛すべき映画人たちの大いなる遺産

特集 VIVA! CINEMA 愛すべき映画人たちの大いな...

「逝ける映画人を偲んで2021-2022」文=米谷紳之介

放浪の画家「山下 清の世界」を今。

特集 放浪の画家「山下 清の世界」を今。

「放浪の虫」の因って来たるところ 文=大竹昭子

「名匠・小津安二郎」の生誕120年、没後60年に想う

特集 「名匠・小津安二郎」の生誕120年、没後60年に想う

「いい顔」と「いい顔」が醸す小津映画の後味 文=米谷紳之介

人はなぜ「佐伯祐三」に惹かれるのか

特集 人はなぜ「佐伯祐三」に惹かれるのか

わが母とともに、祐三のパリへ  文=太田治子

ユーミン、半世紀の音楽旅

特集 ユーミン、半世紀の音楽旅

いつもユーミンが流れていた 文=有吉玉青

没後80年、「詩人・萩原朔太郎」を吟遊す 全国縦断、展覧会「萩原朔太郎大全」の旅 

特集 没後80年、「詩人・萩原朔太郎」を吟遊す 全国縦断、...

言葉の素顔とは?「萩原朔太郎大全」の試み。文=萩原朔美

喜劇の人 森繁久彌

特集 喜劇の人 森繁久彌

戦後昭和を元気にした<社長シリーズ>と<駅前シリーズ>

映画俳優 三船敏郎

特集 映画俳優 三船敏郎

戦後映画最大のスター〝世界のミフネ〟

「昭和歌謡アルバム」~プロマイドから流れくる思い出の流行歌 

昭和歌謡 「昭和歌謡アルバム」~プロマイドから流れくる思い出の...

第一弾 天地真理、安達明、久保浩、美樹克彦、あべ静江

故・大林宣彦が書き遺した、『二十四の瞳』の映画監督・木下惠介のこと

特集 故・大林宣彦が書き遺した、『二十四の瞳』の映画監督・...

「つつましく生きる庶民の情感」を映像にした49作品

仲代達矢を映画俳優として確立させた、名匠・小林正樹監督の信念

特集 仲代達矢を映画俳優として確立させた、名匠・小林正樹監...

「人間の條件」「怪談」「切腹」等全22作の根幹とは

挑戦し続ける劇団四季

特集 挑戦し続ける劇団四季

時代を先取りする日本エンタテインメント界のトップランナー

御存知! 東映時代劇

特集 御存知! 東映時代劇

みんなが拍手を送った勧善懲悪劇 

寅さんがいる風景

特集 寅さんがいる風景

やっぱり庶民のヒーローが懐かしい

アート界のレジェンド 横尾忠則の仕事

特集 アート界のレジェンド 横尾忠則の仕事

60年以上にわたる創造の全貌

東京日本橋浜町 明治座

特集 東京日本橋浜町 明治座

江戸薫る 芝居小屋の風情を今に

「芸術座」という血統

特集 「芸術座」という血統

シアタークリエへ

「花椿」の贈り物

特集 「花椿」の贈り物

リッチにスマートに、そしてモダンに

俳優たちの聖地「帝国劇場」

特集 俳優たちの聖地「帝国劇場」

演劇史に残る数々の名作生んだ百年のロマン 文=山川静夫

秋山庄太郎 魅せられし「役者」の貌

特集 秋山庄太郎 魅せられし「役者」の貌

役柄と素顔のはざまで

秋山庄太郎ポートレートの美学

特集 秋山庄太郎ポートレートの美学

美しきをより美しく

久世光彦のテレビ

特集 久世光彦のテレビ

昭和の匂いを愛し、 テレビと遊んだ男

加山雄三80歳、未だ青春

特集 加山雄三80歳、未だ青春

4年前、初めて人生を激白した若大将

昭和は遠くなりにけり

特集 昭和は遠くなりにけり

北島寛の写真で蘇る団塊世代の子どもたち

西城秀樹 青春のアルバム

特集 西城秀樹 青春のアルバム

スタジアムが似合う男とともに過ごした時間

「舟木一夫」という青春

特集 「舟木一夫」という青春

「高校三年生」から 55年目の「大石内蔵助」へ

川喜多長政 &かしこ映画の青春

特集 川喜多長政 &かしこ映画の青春

国際的映画人のたたずまい

ある夫婦の肖像、新藤兼人と乙羽信子

特集 ある夫婦の肖像、新藤兼人と乙羽信子

監督と女優の二人三脚の映画人生

中原淳一的なる「美」の深遠

特集 中原淳一的なる「美」の深遠

昭和の少女たちを憧れさせた中原淳一の世界

向田邦子の散歩道

特集 向田邦子の散歩道

「昭和の姉」とすごした風景

あの人この人の、生前整理archives

あの人この人の、生前整理archives
読者の声
Social media & sharing icons powered by UltimatelySocial
error: Content is protected !!