懐かしい鉛筆の思い出
山田洋次監督の『男はつらいよ』シリーズ第四十七作「拝啓 車寅次郎様](94年) では、久しぶりに柴又に帰ってきた渥美清演じる寅が、甥の満男(吉岡秀隆)が靴のメーカーに就職し、セールスの仕事をしていると聞いて、くるまやの一同の前で、セールスのお手本を示そうと、手近にあった鉛筆をいかにして売るかを実演してみせる。
いきなり「鉛筆を買いませんか」とは言わない。まず、こんな鉛筆の思い出を語り始める。
鉛筆を見ると、子供の頃、お袋が鉛筆を削ってくれた姿を思い出す。火鉢のところに座って子供のために、肥後守(小刀)で鉛筆を削る。木の削りかすが、火鉢の火で燃えて、いい香りがする。俺はせっかくお袋が削ってくれた鉛筆で落書きばかり書いていたけれど、鉛筆が短くなると、そのぶん頭がよくなった気がした。
寅が名調子でこんな子供時代の思い出を語るので、妹さくら(倍賞千恵子)は「わたし、鉛筆を短くなるまで使った」、夫の博(前田吟)は「鉛筆の先を削って、名前を書いたりしたな」と、それぞれ鉛筆の思い出を語り出す。気がつくと、鉛筆を買おうとしている。さすが、寅はタンカバイ(路上での商売)のプロ。ナイフではなく「肥後守」と言っているのが懐かしい。私の子供の頃も鉛筆を削る時はたいていこの簡易折りたたみ式小刀を使った。
鉛筆が教室で子供たちに使われていた時代、母親はよく前の晩に、子供の鉛筆を削っておいてくれた。
昭和四年生まれの作家、向田邦子は、子供の頃、母親が夜、自分と弟のために鉛筆を削っていた思い出をエッセイ「子供たちの夜」(『父の詫び状』)で書いている。
「夜更けにご不浄に起きて廊下に出ると耳馴れた音がする。茶の間をのぞくと、母が食卓の上に私と弟の筆箱をならべて、鉛筆を削っているのである」
「子供にとって、夜の廊下は暗くて気味が悪い。ご不浄はもっとこわいのだが、母の鉛筆を削る音を聞くと、何故かほっとするような気持になった」
『男はつらいよ』で寅が語った、鉛筆を削る母の思い出は、昭和の小市民の家庭の良き光景だったことが分かる。