23.05.12 update

子供のために鉛筆を削っていたのは母親だった

小刀で鉛筆を削る

 パソコンがまだ登場しなかった昭和三十年代には、大人も鉛筆で原稿を書いた。
 井上靖の小説『通夜の客』の映画化、五所平之助監督の『わが愛』(60年)では、佐分利信演じるベテランの新聞記者が、戦後、戦時中に軍部に抵抗出来なかったことを反省し、新聞社を辞め、山陰の山の中にこもり、学術書を書く決心をする。
 東京の妻子と別れ、山奥の一軒家に移り住む。有馬稲子演じる恋人がそれに連れ添う。
 静かな部屋に机を置き、原稿を書く。この時、恋人の有馬稲子は、鉛筆を何本もきれいに削って、彼の執筆を傍で支える。プロの物書きは、一日中机に向かうから、鉛筆を何本も用意するのだろう。
 作家の山口瞳は、洋酒会社に勤務していた時に小説を書き、思いがけずそれが直木賞を受賞したのを機に作家として立った。
 その山口瞳自身の体験の映画化、岡本喜八監督の『江分利満氏の優雅な生活』(63年)では、小林桂樹が山口瞳をモデルにした主人公、江分利満を演じる。
 洋酒会社のサラリーマンだが、ある時、女性雑誌の編集者から小説を依頼される。自分が辿ってきた人生を書くことにする。
「さあ、書くぞ」と気合を入れて机に向かう。この時、鉛筆を何本も削って用意する。用意はしたものなかなかうまく書けずに、苦吟する。


 鉛筆は小刀やナイフで削るものだったが、やがて鉛筆削り器が登場する。私がはじめて電気鉛筆削り器を知ったのは映画で。
 日本では一九五八年に公開されヌーベルバーグと評判になったフランス映画、ルイ・マル監督の『死刑台のエレベーター』(57年)。
 モーリス・ロネ演じる主人公の会社で女性の秘書が働いている。机の上に鉛筆が何本かある。そばに固定電話のようなものが置かれていて、秘書は鉛筆をそこに差し込む。
 はじめそれが何か分からなかった。のちに電気鉛筆削り器と知った。日本では、まず手でハンドルをまわしながら削る手動式が登場し、そのあと電動式にかわっていった。
 漫画、岡本螢作、刀根夕子画の『おもひでぽろぽろ』(青林堂、一九八八年)では、一九六六年、主人公の十歳のタエ子は、高校生のお姉さんが買ってもらった電気鉛筆削りが羨ましくて仕方がない。お姉さんからそれを借りて、鉛筆を何本も削ってみる。あっというまにきれいに削れる。楽しくて、気がついたら何本もの鉛筆が短くなっていてお母さんに叱られる。
 鉛筆は小刀やナイフで削りたいもの。以前「この頃の子供は鉛筆を削れない」と話題になったが、いまの子供はどうなのだろう。

長野県の池田町にある会あいそめ染小学校では、昭和58 年から全校児童が肥ひごのかみ後守ナイフを使って鉛筆を削っている。学校には鉛筆削り器をおいていない。毎年、1 年生が入学すると肥後守がプレゼントされ、6 年生が使い方を教えている。この取り組みに際し、当時の校長先生は「危険が潜
んでいることも事実。しかし、だからこそ子供たちも真剣に扱うだろうし、結果として教育が目標とする集中力や達成の喜びも培われるはず」と強く
説いたという。肥後守で鉛筆を削る運動は、会染小学校の伝統として引き継がれている。写真提供:長野県池田町会染小学校

かわもと さぶろう
評論家(映画・文学・都市)。1944 年生まれ。東京大学法学部卒業。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」を経てフリーの文筆家となりさまざまなジャンルでの新聞、雑誌で連載を持つ。『大正幻影』(サントリー学芸賞)、『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎日出版文化賞、桑原武夫学芸賞)、『映画の昭和雑貨店』(全5 冊)『映画を見ればわかること』『向田邦子と昭和の東京』『それぞれの東京 昭和の町に生きた作家たち』『銀幕の銀座 懐かしの風景とスターたち』『小説を、映画を鉄道が走る』(交通図書賞)『白秋望景』(伊藤整文学賞)『いまむかし東京下町歩き』『成瀬巳喜男 映画の面影』『映画の戦後』『東京抒情』『ひとり居の記』『物語の向こうに時代が見える』『「男はつらいよ」を旅する』『老いの荷風』『映画の中にある如く』『「それでもなお」の文学』『あの映画に、この鉄道』など多数の著書がある。



 

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