22.12.21 update

どこか昭和が香る熱海は、さまざまな形で描かれる

お忍び旅行も意味した「熱海にゆく」

 熱海行きは、ときに男女のお忍び旅行になる。
 石川達三の『四十八歳の抵抗』(昭和三十一年) は、現代でいうミドルエイジ・クライシス(中年危機)を描いている。会社では、そこそこ出世した。子供も成長した。安定した中年の筈だが、何か物足りない。老けこむにはまだ早い。若い女性と恋をしたい。
 中年男性の不安な心理が共感を呼び、「四十八歳の抵抗」は当時、流行語になり、映画化もされた。
 昭和三十一年に公開された吉村公三郎監督の同名の作品。山村聰演じる主人公は大手保険会社の幹部社員。仕事はうまくいっているが、日々、生きている充実感がない。このまま年を取って終ってしまうのか。
 そんな時、バーでユカという十九歳の女性と知り合う。分別ざかりなのに、可愛い少女に夢中になってしまう。「おじさま好きよ」「仲良しになって」などと甘えられると、本気になってしまう。ユカを演じているのは人気歌手の雪村いづみ。
 四十八歳の主人公は、娘のような少女に惚れてしまい、一緒に旅にゆくことを納得させる。行き先は熱海。
「熱海にゆく」といえばお忍び旅行も意味した。
 二人は、熟海の海の見える旅館に泊まるのだが、いざ、ことに及ぼうとすると彼女は「いや、ユカちゃん、お嫁に行けなくなっちゃう」と拒絶。中年男の年甲斐もない恋はあっけなく終ってしまう。

新婚旅行で熱海を訪れたカップル。新郎は丹前姿だが、女性のたしなみであろうか、新婦はきちんと外出用のスーツ姿。化粧もきっと完璧に違いない。後ろで手を握り合っているのが、愛らしい。熱海が新婚旅行のメッカであった昭和30年代の写真。写真提供:熱海市役所

文人たちにも愛された温暖な土地

 熱海は文人と縁が深い。気候が温暖だからだろう。
 志賀直哉は、戦後、熱海南部、伊豆山稲村の大洞台(おおほらだい)にある山荘を借りた。高台にあったので、海が見下ろせるばかりか、伊豆の島々、初島も見渡せた。時にはイルカの群れも目に入った。
 山を降りて熱海の街を歩いた。とくに熱海銀座に現在も健在の洋食店、スコット旧館にはよく通った。店内には志賀直哉指定の席がいまもある。
 同じようにスコットを愛したのが、戦時中と戦後に熱海に住んだ谷崎潤一郎。食糧難の時代にいい肉が手に入るとスコットに持ってゆき、料理してもらった。
 谷崎潤一郎の、熱海時代のことを描いた『台所太平記』(昭和三十八年)には、「食いしんぼう」の主人公が、熱海の高台から、毎日のようにお手伝いを促して、町に食材を買いにゆくくだりがある。熱海では、戦時中でも思いがけず物が豊富で、ある時には、八百屋に生ワカメが一杯積んであり、それを買った。二杯酢にしたら、それがうまかった。お手伝いは「熱海には何でもございますね」と感心し、あちこちの店先で買物籠をひろげる。
 戦時中、熱海はアメリカ軍による艦砲射撃の噂はたったが、結局、被害はなかった。空襲もなかった。戦後発展したのは、それが一因だろう。『台所太平記』には、「熱海の街が今日のように発展しましたのは戦後のこと」とある。ただ昭和二十五年には大火に遭っている。
 永井荷風も戦後、昭和二十年に半年ほど熱海で暮している。一人暮しの老人なので、食料を手に入れるのは苦労したようだが、戦火に遭わなかった温暖な土地は老いの身にはよかったのだろう。日記『断腸亭日乗』には、昭和二十年の秋、荷風が熱海の町の美しさをたたえるくだりがある。また暮しにしばしば余裕も出来、名月を眺め、句も詠んでいる。
「湯の町や灯もにぎやかに今日の月」


 昭和四十年代の東京に住む小学生の女の子を主人公にした懐かしさあふれる漫画、岡本螢・作、刀根夕子・画の『おもいでぽろぽろ』(88年、青林堂)にも熱海が登場する。
 小学五年生のタエ子は、東京の普通のサラリーマン家庭の子供。夏休み、田舎のある友だちはみんな祖父母の家に遊びに行く。田舎のないタエ子はどこにも行けない。
 悲しむタエ子をお祖母ちゃんが熱海に連れてゆくことになる。有名なホテル、大野屋に泊る。一家は、これまで何度かここに来ているようだ。末娘のタエ子ははじめて。
 大ホテルで、たくさんある風呂に喜んで入りにゆく。とうとう最後の大浴場のローマ風呂では、のぼせて倒れてしまう。可愛い。

 熱海はいっとき客足が落ちていたが、最近駅やホテルがリニューアルされ、活気を取戻している。

かわもと さぶろう
評論家(映画・文学・都市)。1944 年生まれ。東京大学法学部卒業。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」を経てフリーの文筆家となりさまざまなジャンルでの新聞、雑誌で連載を持つ。『大正幻影』(サントリー学芸賞)、『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎日出版文化賞、桑原武夫学芸賞)、『映画の昭和雑貨店』(全5 冊)『映画を見ればわかること』『向田邦子と昭和の東京』『それぞれの東京 昭和の町に生きた作家たち』『銀幕の銀座 懐かしの風景とスターたち』『小説を、映画を鉄道が走る』(交通図書賞)『白秋望景』(伊藤整文学賞)『いまむかし東京下町歩き』『成瀬巳喜男 映画の面影』『映画の戦後』『サスペンス映画ここにあり』『日本すみずみ紀行』『東京抒情』『ひとり居の記』『物語の向こうに時代が見える』『「男はつらいよ」を旅する』『老いの荷風』など多数の著書がある。

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